「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」
将棋界には、こう発言した大棋士がいます。
それが米長邦雄という元将棋連盟会長です。
升田幸三先生からも「彼だけは会長にしてはいけない」と言われた米長先生の奇行、下ネタ、師匠との爆笑トークまでおもしろいエピソードを一挙に紹介していきます。
目次
米長邦雄という将棋連盟元会長
まずは簡単に米長邦雄先生の紹介から…
- 1943年生まれ
- A級在位26期
- 通算タイトル獲得数19期(永世棋聖)
- 一般棋戦優勝16回
- 最年長名人獲得 49歳11か月(50歳名人)
- 2012年死去
「泥沼流」とも「さわやか流」とも言われた棋風で、現役時代は史上三人目の四冠王になったこともある大棋士です。
現役引退の後は将棋連盟会長としても活躍していました。
ちなみに一番上の写真ですが、これは日本将棋連盟の公式サイトの写真でした。(現在はありません)
他の棋士(当時の役員)の写真と一緒に見てみると…。
みんな真面目に写ってるのに1人だけダブルピース!
しかも会長。
升田幸三先生に「彼だけは会長にしてはいけない」と言われていたにも関わらず会長職再任まで果たしてしまいました。
米長邦雄のおもしろいエピソード
将棋連盟のホームページの写真からもとても個性的なことが伺える米長先生ですが、将棋の成績からもわかるように現役時代はかなり強い棋士で、初代竜王をかけた竜王戦七番勝負にも登場しており、島朗九段と初代竜王のタイトルをかけて闘っています。
結果は島九段の4勝0負で残念ながら敗北してしまいましたが、初代竜王になれなかったその悔しさとストレート負けの屈辱は相当なものだったようで…。
負けたあと、米長先生はそのタイトル戦が行われたホテルで、自室から大浴場まで「ギャオーッ」と絶叫しながら、全裸で疾走したそうです。
他にも、45歳で南芳一先生から王将を奪取した際には、打ち上げの際に「まあ滅多に他人には見せないんですけど…」と言いつつ 弟子の先崎学先生と歓喜の裸踊りを披露。
目撃者からは「裸踊りで勃〇させてる人は初めて見ました」とのこと。
以下、米長邦雄先生のエピソード一覧です。ご覧ください。
【米長先生の将棋エピソード】
- 奨励会員の時に、将棋会館の二階から放尿したことがある。
- A級順位戦にて谷川浩司に完敗し、名人挑戦が遠のいたときも、対局後「悔しい!」と叫びながら将棋会館4階より放尿を試みる。 心ある棋士たちの体を張った制止により未遂に終わる。
- 読売新聞記者が電王戦について「デンノウセン、デンオウセンどっちが正しい読み方ですか?」との質問に当時会長であった米長は「言葉を大事にする読売新聞ならではの質問だと思うのですが、将棋連盟というところは”どっちでもええやないか”という団体でございます。」と回答。
3人の兄はみんな東大に入った米長先生ですが、やはり子供の時から凄かったようで、小学3年生の時には上の兄達はもちろん大人でさえも将棋で勝つことはできないぐらい強くなっていました。
当時の米長先生を見てプロ棋士の佐瀬勇次先生が「名人になれるかはわかりませんが八段にはなれます」と言い、佐瀬門下に入ることになったそうです。
【米長先生の少年時代エピソード】
- 中学生の米長少年、将棋一筋で頑張ってほしい師匠(佐瀬勇次)は「高校に進学するならば破門する」と言った。それに対して米長少年は「私を破門すれば恥をかくのはあなたですよ」と言ってゲンコツを喰らう。
- 「1日に5、6時間も将棋の研究をしていた」と言った師匠に対して「私は3時間も将棋の研究すると頭がボッーとなります。5時間も6時間もできるような生ぬるい研究をしたことがないです」と言ってまたゲンコツを喰らう。
- 師匠に「あなたと同じようにやったのでは、あなた止まりの将棋になるじゃありませんか」と言って、やはりゲンコツを喰らう。
- 師匠が真剣に高校進学に反対しているのを見て米長少年は「これは絶対に高校に行かねばならないはずだ」と決意を固める。
- 中学生の米長少年が「師匠が高卒はいけないと言っているがどうしたものだろう?」と母親に相談したら「佐瀬先生(師匠)の言うことは当たりまえだ。お前は間違っている。これからはどんなところでもいいから大学ぐらいは出ておきなさい。高卒はダメだ。大卒だ」と言われる。このあと米長少年は高校を卒業し、大学にも進学。
【米長先生の下ネタエピソード】
- 加藤一二三先生との十段戦。トイレで一緒になった観戦記者の山田史生氏に「ここだけは加藤さんには負けないんですね」と逸物を見せつける。
- 瀬戸内寂聴氏と対談して「先生は最後にセックスしたのいつ?」と質問。
- 弟弟子の沼春雄先生と八ヶ岳に登頂。天狗岳山頂で「ああいいねえ」と言いながら自らの天狗を開チン。
- ストレス解消法は?と問われ「口に出すわけにはいかない」と回答。
- タイトル戦の打ち上げで、お酌に来た芸者に、おもむろに浴衣の裾を開いて、自分の米長玉を見せる。
- 将棋雑誌のプレゼントの色紙に「TOTOが あたたまるころ 尻をふき」と書いた。
- 週のうちに5日間は家に帰ってこない時期があった。
- 米長「私の特技はセクハラで訴える女性かどうかを瞬時に見分けられることです」
- 一番弟子の伊藤能先生が三段リーグで不振に陥っていた頃。米長「最近、お前はだらけている。目がな、目が死んでいるんだ!オマ〇コを見るような目で、将棋盤を見ろ!!」と一喝。
- 米長の喝が功を奏したのか、伊藤能先生の闘志に火をつけ、三段リーグを2位で終え、見事に四段昇段を果たす。
- 「ま〇こ知新」「正常位よ永遠なれ」という本を出版しようとして、編集者に止められたことがある。
- 道後温泉のホテルで将棋連盟の社員を前にして「よし!明日は頑張ろうじゃないか」となぜか下半身を露出。
米長邦雄はTwitterもやっていた
生前はツイッターもやっておられて、その時のツイートの一部も紹介します。
他にもまだまだあります。
【米長のツイート集】
- (84歳の男が、24歳の美女と結婚というニュースに対して)『よーし。元氣が出た 』とツイート。
- 「74才で買春疑惑。イタリアのベルルスコーニ首相」というニュースに対して、『けしからんと怒るべきか、羨ましいと感心するべきか』とツイート。
- 『う〇こなう。快心の作です。直径2センチで長さ80センチが一本にゅーっ。幸せです。』
- 『「お前は元氣になると目が大きくなるね」「私は、あの、その、違う所なんですけど」』
- 『快眠、快便。今朝は直径2センチ長さ70~80cmのが一本です。流すのが惜しい。うなぎさんサヨウナラ』
- 『私のツイートは80%が女性ファンが見ているような氣がしています。』