地元北海道では天才と称されて、奨励会に入るや3年足らずで、プロデビューを果たしてしまう天才・屋敷伸之。
その将棋は『忍者屋敷』と称され、プロデビューから1年ちょいでタイトル戦に出場。18歳でタイトルを獲得します。
そんな屋敷九段の勉強時間は1日1分と才能だけで指すまさに天才棋士。
そんな天才棋士の将棋との出会いから現在に至るまでをまとめました。
屋敷伸之とは
- 名前:屋敷伸之(やしきのぶゆき)
- 生年月日:1972年1月18日
- 出身地:北海道札幌市
- 師匠:五十嵐豊一 九段
- プロ入り年月日:1988年10月1日(16歳)
- タイトル獲得合計:3期
- 一般棋戦優勝回数:2回
プロデビュー最速記録
屋敷伸之先生が将棋を覚えたのは、小学生2.3年生の時。そこからみるみるうちに上達していき、地元の北海道では「プロ間違いなし」と称されていました。
まさに神童であり、天才だった屋敷先生ですが、奨励会入りは遅く、中学2年生13歳の時に入会しています。
これは中学生名人戦で優勝したあとに、奨励会入りを決めたようです。
中学2年生で優勝するなんてさすがですね。
それでも中学生になってからの奨励会入りは遅いほうで、そこまで実力があったのなら普通は、小学生の時には奨励会入りするものですが、もしかすると地理的状況が影響したのかもしれません。
地元が北海道ということもあり、例会のたびに東京まで通うのは骨が折れますからね。
現に屋敷先生が奨励会入りした中学2年生の時は、父親の転勤先が東京になったあとのことです。
奨励会6級で入会した屋敷先生は2年後には奨励会三段に。
そして、三段リーグは1期抜けと、異常な速さで奨励会を駆け抜け、プロ棋士になられています。
奨励会入会からプロデビューまでは、なんとだったの2年10ヶ月。
これはいまだに破られていない最速記録です。
ちなみに奨励会入会からプロデビューまでの期間では、藤井聡太先生は4年かかっており、その他、羽生先生が3年、村山聖先生が2年11ヶ月でプロデビューされています。
最年少タイトル挑戦と獲得そして防衛
奨励会入会からプロデビューまでの最速記録を持っていながら、屋敷先生はプロ入りしてから1年2ヶ月でのタイトル挑戦の記録も持っています。
史上最速、順位戦C級2組在籍・段位が四段の棋士としても史上初の快挙でした。
ちなみに藤井聡太先生は14歳2ヶ月でプロ入りし、タイトル挑戦が17歳10ヶ月でしたので、プロ入りからタイトル挑戦までは3年8ヶ月でした。
この時、屋敷先生は17歳10ヶ月と24日で、当時のタイトル挑戦の最年少記録でした。
これは『将棋界で絶対に破られないであろう記録』の一つとして約30年間君臨していましたが、のちに、藤井聡太先生が17歳10ヶ月と20日という記録で4日間だけですが、記録を塗り替えました。
屋敷先生の初めてのタイトル戦は『棋聖戦』です。
当時の棋聖は中原誠永世名人。
棋聖戦五番勝負の結果は屋敷先生の2勝3負で惜敗。
しかし、次期の棋聖戦でも本選トーナメントを勝ち上がり、再び挑戦者として中原先生に挑戦します。
2連敗の後に3連勝という大逆転裁判で【棋聖】のタイトルを獲得します。
18歳6ヶ月でのタイトル獲得は当時のタイトル獲得最年少記録でした。
のちに、藤井聡太先生に17歳11ヶ月でタイトルを獲得され更新されています。
この時も同じく【棋聖】のタイトルでした。
タイトル獲得の最年少記録は更新されてしまったものの、プロ入りからわずか1年10ヶ月でのタイトル獲得は史上最速記録です。
さらに、屋敷先生は次期棋聖戦のタイトル防衛も果たしており、当時19歳0ヶ月でのタイトル防衛は最年少記録でしたが、それも同じく藤井聡太先生に塗り替えられてしまいました。
10代でタイトルを防衛したのは屋敷先生と藤井聡太先生の2人だけです。
ちなみに屋敷先生は19歳での最年少タイトル失冠の記録も持っています。
将棋の勉強は一日1分
以下、インタビューでの会話。
記者「棋聖は将棋の勉強はスポーツ新聞の詰将棋ぐらいと聞いたのですが、本当ですか?」
屋敷「一日一分、うなっても三分ですね」
屋敷先生で有名なエピソードは将棋の勉強時間は1日1分というものです。
棋譜並べもしないし、戦法の最新形の研究も全くしないんです。
まさに天才です。
そのせいかは、わかりませんが、タイトル経験者でありながらC級1組からB級2組へなかなか上がられなかったことを『将棋界の七不思議』の一つと言われていました。
さらに、屋敷先生は大の競艇好き。
競艇の選手会の外部理事をやっていたことがあるほどの競艇好きなんです。
「将棋の勉強はほとんどしないで競艇ばかりやっている」
と自称するほど。
そして、酒豪です。
屋敷先生は日本酒7合ぐらいなら15分ほどで空けるほどの酒豪っぷり。
ちなみに一升瓶は10合です。
将棋の勉強はせず、競艇にハマり、毎晩の飲酒。
酒とギャンブルにハマった棋士のその後の運命は?
天才vs努力
1997年度、屋敷先生は棋聖戦の本選トーナメントで勝ちあがり、当時の三浦弘行棋聖に挑戦します。
当時の三浦弘之棋聖は、前年度に羽生七冠王の牙城を崩し【棋聖】を奪取した棋士。
さらに三浦先生は一日の将棋の勉強時間を10時間もしていた努力家として知られています。
前述したように、挑戦者となった屋敷先生の一日の勉強時間は1分。
まさに天才vs努力のタイトル戦でした。
当時も『10時間対1分』として話題になっていたようです。
ここで、少年漫画やドラマでは毎日努力したほうが勝つのが定説ですが…。
なんと3勝1負で屋敷先生が勝ちます。
現実はシビアですね。
これでタイトル獲得通算3期となります。
忍者屋敷のその後
屋敷九段の将棋は将棋の戦術がユニークで、なにが出てくるかわからないことから【忍者屋敷】と称されていました。
以下、羽生善治先生のコメントです。
「屋敷将棋の特徴は序盤から大胆に動いてポイントを稼ぐと、地味なコツコツとした手を指して勝つところなのですが、その変わり身のうまさには感心させられます。
それと発想がユニークというか目新しいというか、他の人にはない特異な感覚の持ち主です。」
2枚銀を繰り出していくアマチュアに人気しそうな戦術で勝ったり、棒銀を多用していたりと、屋敷九段にしかできないような将棋はとても魅力的です。
しかし、そんな天才屋敷伸之は、C級1組に14年間も在籍してしまいます。
そして、タイトル戦は前述した棋聖以降はタイトルの獲得からは遠のいています。
ここに来て、酒とギャンブルの影響もあるでしょうが、一番の原因は対羽生戦にあるようです。
当時の将棋界は羽生先生がタイトルを複数冠保持しているのが当たり前だった時代。
なので、羽生先生を倒さないことにはタイトルを獲得できない時代でした。
しかし、屋敷九段の対羽生戦の成績は…。
8勝25負。
1998年から2016年までの18年間は羽生先生に全く勝てませんでした。
その時の対羽生戦の連敗記録はなんと16連敗。
2001年には王位戦の挑戦者となり、当時の羽生王位にと七番勝負を戦っていますが、なんと0勝4負のストレート敗け。
禁酒してA級へ
屋敷先生は2010年に『将棋のため、と健康のため』という理由で禁酒しました。
そして、対比の存在であった三浦九段との研究会も開始します。
競艇のほうはどうなったかわかりませんが、毎晩飲酒をしていて、将棋の勉強は一日に1分だけという頃とはずいぶんと変わられたようです。
その甲斐あってか、2010年には見事、A級昇段を決めました。
禁酒についての屋敷九段のコメント
「自分への不甲斐なさもあり、酒をやめたらどうなるだろうかと思ったんです。そうしたら勝ち星が積み重なった」
天才・屋敷九段は現在では、苦手だった羽生先生に連勝したりと、まだまだ現役バリバリ。
ABEMA将棋トーナメントではフィッシャールールの早指し対局で解説を担当した際に、終盤の早指し戦の中、早口で次の手を当てまくるという凄さを見せつけています。
これからの活躍に乞うご期待!
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