神武以来の天才”加藤一二三”
プロ棋士になったのが14歳7ヶ月、将棋界史上初の中学生棋士となりました。
デビューしてなんと4年連続で順位戦昇段を果たし、18歳でA級八段となります。
77歳で引退するまで数々の記録を樹立してきた将棋界のレジェンド加藤一二三。
この記事では加藤九段の伝説的記録を紹介しています。
加藤一二三とは
- 1940年1月1日 生まれ
- 福岡県 出身
- 剱持松二 門下
- 居飛車党
77歳で現役を引退された加藤一二三九段の通算成績は1324勝1180敗1時将棋。
勝率は5割2分9厘でした。
その他の主な記録は以下の通りです。
- A級在籍数:36期(大山名人に次ぐ歴代2位)
- タイトル獲得数:8期
- 棋戦優勝:23回
18歳でA級八段
「この子、凡ならず」
これはまだ小学生だった加藤先生の将棋を見た升田幸三先生が言った言葉です。
升田先生のこの言葉から数年後、加藤先生は14歳と7ヶ月という当時最年少の若さで将棋のプロ棋士になりました。
それから、4年連続で昇級を果たし、わずか18歳でA級八段になります。
この天才っぷりから世間ではこう騒がれます。
「神武以来の天才」
「じんむこのかたのてんさい」と読みます。
意味は「初代天皇である神武天皇以来の天才」です。
18歳でA級八段という記録は藤井聡太先生でも不可能になってしまった偉大すぎる記録です。
少し話が脱線しますが、NHK杯で羽生善治が加藤一二三九段相手に放った伝説の5二銀の対局があります。
その当時の羽生善治五段は18歳でした。
その時の羽生五段と18歳の時の加藤九段を比べて、当時の解説者だった米長邦雄先生はこう言っています。
「(加藤さん)あんたが18歳の時はもっと強かったんだから。18歳で八段なんだから」
18歳でA級八段というのは、とにかくものすごいことなんです。
それから加藤先生は20歳という若さで名人への挑戦権を獲得します。
60歳でもA級
18歳でA級八段になった加藤一二三先生ですが、A級に在位した期間はなんと合計36期です。(名人時含む)
最後にA級だったのは62歳の時でした。
還暦を過ぎてもなおA級棋士だったのは凄すぎます。
何度かB級1組に陥落はしているものの、そのほとんどが1期でのA級返り咲きです。
しかも、棋士としてのピークが過ぎた52歳でA級に復帰したこともあります。
早指し名人
百人を超す棋士と対局したが、天才と言い切れる棋士は加藤一二三九段ただひとりである。読みが広く深く、かつ正確であった。
対局後の感想戦では、こちらの手順まで、あらゆる変化をしっかり読み切っている。加藤さんの読み筋から抜け出せないものがあった。私は後年、十八歳の羽生善治五段と対局したが、十八歳の加藤さんは羽生に勝りこそすれ、けっして劣りはしない。二上達也
引用元:wikipedia
早指し棋戦であるNHK杯で7回の優勝を誇る加藤一二三。
常に最善の手を探すため、長考に沈むことでも有名だったが、時間がなくなり1分将棋になっても間違えない加藤は”1分将棋の神様”と呼ばれていました。
何事にも例外はあるもので、年老いても秒読みになるのを恐れず、秒を読まれて誤ることの少ない人がいる。
加藤一二三で、この人こそ、天才の中の天才である。パッと浮んだ手が常に最善手で、だから三十秒、四十秒、五十秒……とせき立てられても慌てない。すでに指す手を決めてあるから。河口俊彦
引用元:wikipedia
ちなみに加藤先生自身はカトリック教徒のため「1分将棋の神様」と呼ばれるのを嫌っています。
「1分将棋の達人」と呼んでほしいとのこと。
現役期間最長記録
当時の最年少記録の14歳7ヶ月でプロになり、現役最年長記録の77歳5ヶ月で引退するまでの62年10ヶ月間を現役として活動してきました。
もちろんこの現役期間記録は歴代1位です。
すごいことに通算2505局で休場と不戦敗は一度もありませんでした。
長い期間、現役として将棋を指してきたことから、19世紀、20世紀、21世紀生まれのプロ棋士と対局したことがある唯一の棋士です。
それだけ長い期間対局されていたので、もちろん通算対局数でも歴代1位です。
77歳でC級2組に在籍していた時も、名人以外のタイトルなら獲得できる可能性を常に信じて戦っておられました。
最多敗北記録
生涯通算1180負という大記録。
将棋の棋戦はほとんどがトーナメント棋戦のため、負けるとそこで終了です。
にもかかわらず、1180負という記録はそれだけ勝ってリーグ入りを果たしたり、タイトル戦に登場していたことを示す大記録です。
加藤九段本人が言うには150局ぐらいが逆転負けだったとのこと。
また敗北記録とは反対の77歳0ヶ月での勝利という最年長勝利記録も加藤九段は持っておられます。
棒銀戦法
引退する最後の最後まで棒銀戦法を貫き通しておられました。
棒銀の採用率が以上に高く”加藤棒銀”と呼ばれるほどに。
当時の羽生三冠も自身の著書の中でこう語っておられます。
「あそこまで同じ戦法を貫かれると不気味ですらある。普通、研究され対策されることを考えると、一つの戦法をとり続けることは、一つの生き方ではあれ現実に実行する人はほとんど居ない。しかし加藤先生に限っては、全くそれを恐れていないようだ。」
羽生善治
引用元:wikipedia