”名人vs電王”
最後の電王戦で佐藤天彦名人(当時)と最強の将棋コンピュータソフトPonanzaの対決が実現しました。
この偶然とは思えない組み合わせでPonanzaが指した初手は驚愕の”3八金”でした。
自陣に入り込む余地すらも与えない完璧な指し回しでPonanzaは名人に2連勝し、電王戦は幕を閉じました。
この記事は第二期電王戦のまとめです。
第二期電王戦ルール
- 持ち時間:1日制の5時間、切れたら60秒将棋
- 将棋ソフトの貸し出し有り
- 将棋ソフトは将棋電王トーナメントの時と同じものを使用する
- ハードウェアはIntel Core i7 6700 3.4GHz 4コア
対局者は将棋電王トーナメントで優勝した”Ponanza”と叡王戦で優勝した”佐藤天彦名人(当時)”になったことで、将棋コンピュータvs名人の対決が現実のものとなりました。
振り駒は囲碁棋士の”李世ドル”が行い第一局目の先手がPonanza、第二局目の先手が佐藤天彦叡王に決定。
今回の電王戦では叡王戦のトーナメントに羽生善治三冠(当時)が出場したことが大きな話題となりましたが、準決勝で佐藤天彦先生に敗れています。
第一局【後手】佐藤天彦名人 vs 【先手】Ponanza
2017年4月1日
- 先手:Ponanza(山本一成、下山晃)
- 後手:佐藤天彦名人・叡王
- 対局場所:日光東照宮(栃木)
71手でPonanzaの勝利。
先手のPonanzaは初手に”3八金”と珍しい手を指し、取材陣をどよめかせました。
開発者の山本一成氏によると、Ponanzaは22手ある初手の中からランダムに選んで指すようにプログラムされているとのことでした。
これは事前にソフトを借りて対策を立てることができるプロ棋士相手の対策だったそうです。
この手を咎めるのなら後手は振り飛車にするのだと思いますが、対抗系はコンピュータの得意な戦型でもあり、佐藤天彦叡王は居飛車党。そこで戦型は”相掛かり”になりました。
このあとPonanzaは正確な指し手で徐々にリードを広げていき、隙のない将棋、まさに完璧な内容で71手で当時の名人に勝利しました。
持ち時間が5時間の将棋にも関わらず、消費時間には3時間以上の差がついていました。
もちろん、時間を多く残していたのはPonanzaのほうで、これは佐藤天彦叡王の考慮中にPonanzaも考えており、その時の読みが佐藤叡王の手とほぼ合っていたためPonanzaはノータイムで指すことができたようです。
「Ponanzaはものすごく正確で、非常に指し手に読みが入っていると感じました。先手番の第2局は勝算があるのでしっかり頑張りたいと思います」
佐藤天彦
「二番勝負なので、これでタイトル保持者に勝ったとは言えませんが、日本の情報科学の開発者が長年目標としてきたことを達成できたという気持ちはあります」
山本一成
第二局【先手】佐藤天彦名人 vs 【後手】Ponanza
2017年5月20日
- 先手:佐藤天彦名人・叡王
- 後手:Ponanza(山本一成、下山晃)
- 対局場所:姫路城(兵庫)
94手でPonanzaの勝利。
佐藤天彦叡王の初手”2六歩”に対して、今回もPonanzaは”4二玉”と珍しい手を指しました。
第一局と同じく、Ponanzaは相手の研究対策として後手番の時の初手”2六歩”には9種類の手の中からランダムに手を選ぶように設定されているとのことでした。
戦型は”角換わり”になったものの、佐藤天彦叡王はPonanza陣に攻め入ることすらできずに94手で完敗。
「僕自身が本来持っている感覚だったり価値観だったり、そういったものを正面からぶつかっていって敗れたという結果になったのかなと思います。」
「私の感覚や価値観の外にあるPonanzaの独特な感覚を見せられた。」
佐藤天彦
「名人に勝つのは、私だけでなく開発者たちの願いだったので。多くの先人たちの知恵に感謝したいと思います」
山本一成
「コンピューターソフトの方が一枚も二枚も上手だったということは認めざるを得ないというふうに思っております」
佐藤康光(日本将棋連盟会長)
第二期電王戦対局結果
第二期電王戦は、2勝0負でPonanzaの勝利となりました。
第1局 佐藤天彦 叡王 ● ponanza ◯(開発者:山本一成、下山晃)
第2局 佐藤天彦 叡王 ● ponanza ◯(開発者:山本一成、下山晃)
電王戦はこの第二期を持って終了となりました。
第一回電王戦から第二期電王戦までのプロ棋士と将棋ソフトの通算の対戦成績はプロ棋士側の
”5勝14負1引き分け”でした。
そもそも電王戦が始まったのは2012年の米長邦雄永世棋聖とボンクラーズの対局からでした。
その時は、5年間かけてプロ棋士とコンピュータが1年に1局ずつ計5局対局する予定でした。
しかし、コンピュータ側が「コンピュータにとって5年間は長すぎる」という意向で、米長会長(当時)とコンピュータ側に交渉決裂の雰囲気に。
そこでドワンゴの川上社長が「じゃあ私が全部費用は出すので1年間で5局やりましょう」ということで始まったのが5対5の電王戦だったとのことでした。
川上社長自身は「米長会長に半ば無理矢理逃がしてはもらえなかったから電王戦がスタートした」と語っています。
ちなみに米長邦雄永世棋聖はボンクラーズ戦の後1年と経たずに亡くなられています。
電王戦を最後まで見届けてもらいたかったですね。