「名人に香車を引いた男」と言われる升田幸三。
後にも先にも名人相手に香落ちで将棋を指したのは升田幸三ただ一人。
伝説となった大棋士の名人に香車を引いた結末。そして後日談を書いています。
升田幸三という男
「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
こう書き残して家出をした少年がいました。
この言葉の意味は「名人相手にこちらが香車をおとして(無しで)勝つまで大阪には帰らない」という決意と宣言でした。
この大胆不敵な言葉を書いたのは当時13歳だった升田幸三です。
升田幸三は史上初の三冠王(当時の全タイトル名人、王将、九段を独占)となった伝説の大棋士です。
升田は幼少の頃から天才っぷりを発揮し、南禅寺の決戦で有名な坂田三吉からは
「木村(義男)を倒せるのはあんただけや」
と言われるほどでした。
最初の香落ち将棋
この坂田三吉の言葉通り、升田幸三は王将戦の七番勝負で木村義雄王将(名人)に4勝1負で勝ち王将位を奪取しました。
このあと三番手直りの指し込み七番勝負という当時の特殊ルールに基づいて、香落ち対局が行われる予定でした。
名人相手に香落ちで指す前代未聞の将棋です。
しかし、そこに升田幸三は現れなかった。
その対局会場が陣屋だったことで、この事件は”陣屋事件”と呼ばれています。
この陣屋事件にはまだ続きがあったんです。
陣屋事件の詳細についてはこちらの記事をご覧ください↓
名人に香車を引いた男
陣屋事件があった4年後の王将位のタイトル戦にて。
升田幸三は当時名人でもあった大山康晴王将に挑戦し、第一局から3連勝し指し込み王将位を奪取しました。
そして、第四局目で当時の王将戦特有のルール”三番手直りの指し込み七番勝負”が適用され升田が香車を落して大山名人と対局します。
4年前の木村名人との香落ち将棋では姿を現さなかった升田幸三ですが、この時は大山名人との香落ち対局に現れます。
上の図が名人相手の香落ちです。
この対局、升田はあろうことか当時の名人である大山康晴相手に香落ちで勝利してしまいました。
「ハラワタがちぎれるほど悔しかった。」
当時の大山名人はこの対局についてこう述べています。
その後の第六局と七局は升田の健康状態の悪化により実施されていません。
以下は升田が著書に記した内容です。
母の意を汲んで、第五局の平手番も勝ち、五連勝したところで、私は病気を理由に、残る二局を棄権した。もし続けて指すとなれば、第六局は再度の香落ち番です。勝敗なんか問うところじゃない。名人であり弟弟子でもある大山君に、これ以上の屈辱を強いるわけにはいかない。
升田幸三
引用元:wikipedia
「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」
13歳の少年が書き残したこの宣言は途方もないぐらい無謀なことだったと思います。
しかし、本当にやってのけた。
それゆえに升田幸三はこう呼ばれています。
「名人に香車を引いた男」
「三番手直りの指し込み七番勝負」のルールが現在では発動されないので、名人に香車をおとして勝ったことがあるのはこれまでもこれからも升田幸三ただ一人になるでしょう。
晩年、インタビューされた升田幸三はこう語っています。
「喜びがね、日々段々膨れ上がってきた。もう、人は死んで、(自分も)いつ死んでもいいが、何百何千年経ってもね、俺の名前は残るというね。 時が経つほどね、やっぱり負かしといてよかったと。 将棋が始まって私だけだから。名人に駒をおろした人は。」
升田幸三
引用元:wikipedia
https://shogi-oute.com/2017-07-24-000812/