升田幸三

升田幸三の名言まとめ

「新手一生」を掲げ、将棋の寿命を300年縮めたと言われる升田幸三。
仙人のような風貌に達観したセリフ。
深い言葉。機転のきいた返しなどなど、升田幸三先生の名言をまとめました。

升田幸三の名言

「新手一生」

 

「息長く心ゆるやか手ゆるまず」

 

「着眼大局 着手小局」

 

(母親にあてた書き置き)

「この幸三、名人に香車を引いて勝ったら大阪に行く」

 

(加藤一二三少年の将棋を見て)

「この子、凡ならず」

 

(木村義雄十四世名人に対して)

「あなたが悪いと断定した石田流で、私はあなたに勝って見せる」

 

(妻へのラブレター)

「昨年の ままで結構 女房殿。幸三」

 

(木村名人に対して)

升田幸三「名人など所詮はゴミのようなもの」

(「じゃあ君は一体なんだ?」と木村名人が反論したところ)

升田幸三「ゴミにたかるハエだな」

 

二日制のタイトル戦にて

「さっさと封じて碁でも打ちましょうや」

 

(升田幸三が「詰みだな」と言ったのを聞いた相手はその言葉を信用して投了した。その後、詰みがないとわかった相手は文句を言ってきた)

「プロがきちんと確認もしないで俺の一言で投了したんじゃあ、お前の棋力はそんなもんだよ」

 

【勝負について】

「勝負師とは、ゲタをはくまで勝負を投げない者をいうんです」

 

「勝負は、その勝負の前についている。」

 

「イチかバチかのやけっぱちみたいなことをやるのを、勝負師という人があるが、これは間違いです。そういうのは勝負師とはいわない、賭博師という。」

 

「どんな世界でも同じだと思う。プロとアマの違いはアマは真似でも通用するが、プロの道は独創。またそうでなきゃ通用しない。だから苦しいが喜びも計り知れない。」

 

「勝負をする時、なんでもかんでも、相手に差をつけようとりきむのはよろしくない。勝負の急所は、一手違いで相手を倒すことにある。五手も十手もちがうというのは、どだい自分が勝負すべき相手ではない」

 

「なんにしても、力量が評価されるのは、稽古ではなくて本番である。本番で力が出ないというのではなんにもならぬ。その人は弱いのである」

 

「あるアメリカのゴルフのプロの勝負観に、「練習の力量が本番で出ないのは勝負にとらわれすぎるからだ。今日のスコアは一万年も前からきまっているんだと思ってやってみたまえ」という意味のことがあると、人に聞いたことがある。この運命論的な考え方も大切なことだと思う」

 

「負けずぎらいは勝負師として、もっとも必要欠くべからざる条件の一つではあるが、ただメチャクチャに、オレは負けるのがいやなんだでは、勝負師としての生命はきわめて短らざるをえない。負けるのがいやだから、勝負そのものをやりたがらぬということになりがちである」

 

「負けずぎらい一本でかかってくるヤツとは、勝負をするのがスコブル楽である。彼は「我」だけだからである。未熟な世界ほど「我」が強くなるのだからおもしろい。アマチュアに天狗が多いのも、その一つのあらわれかもしれぬ」

 

「「我」が強いものは、独創的な、いい手を発見することが多い。「我をすてろ」とよくいうが、「我」は勝負のうえでたいへん大切なものである。「我」があり、負けずぎらいがあり、そのうえに道理に目をひらかなくてはいけない」

 

「碁で私が得たいちばんの大きなことは、弱者の心理です。弱いものはどうしてもあせります。あせるし、局部の利益に非常にとらわれる」

 

「弱いものを相手にする場合は、相手にやらせることが大事です。というのも、弱いものは動くたびにヘタをして失点を重ねるように出来ている。だから相手にしゃべらせ、動かさせるわけで、これが、上手のやり方です」

 

「人間は、その所作にその人の雰囲気というものが出てくるものです。そしてこれに、力のあるなしが出てくる」

 

【将棋について】

「升田なくてなんの日本の将棋かな」

 

「香一筋名人の上」

 

「将棋というのは、勝負ではあるけれども、やはり娯楽であり、遊びのものです。とすれば、楽しみのあるものにしなければいけない」

 

「錯覚いけない良く見るよろし」

 

「全局のことでも、また局部、局部のことでも、その一手の差を慎重に、そして最善をつくす人が、「勝ち」にゆくわけで、一手ぐらいなどといって、気楽にしとるやつが、結局は敗北につながる。」

 

「歩は素晴らしいものだよ。敵の陣地に行けば金になるけど相手に取られると歩に戻る。こんな合理的ないいものはない。これをうまく使えるやつが名人だ。」

 

「俺が睨めば、横には動けぬ銀でも横に動くのだ」

 

「ある人は、碁は、しまうときは白黒と二つのゴケに入れるが、将棋は一つの駒箱におさめ、戦い終わると敵も味方もない、といって将棋の美風を讃えた。まったく同感である。将棋は盤上の攻防は峻烈で、勝負そのものはきびしいものであるが、その精神はあくまでも仏心である」

 

「駒をうんともったときは、おくれている。三歳の童子とはちがうのだから、足りないところで精いっぱいの仕事をしなければならない。僕はいつも、足りない、足りないという感じをもちながら、そういうところで仕事をしてしまう」

 

「いよいよ詰む段階になると、つい二手も三手もひらいて勝ちたくなる。安全をねがうのだが、実は一手違いでいいという計算が成り立つほうが安全なのだ。何手もちがわせると、欲がからんで、まちがいがある」

 

「一手残せればいいという考えに立つものは、差をつめられてもなかなかくずれない。自分が劣勢のときにも、ねばりにねばって、なんとか一手ちがいにまで追いついておこうとつとめる。そうしておけば、逆転のチャンスがいつもひそんでいるからだ」

 

「序盤だけなら、体験がなくても、いわば机上論でも、ある程度はさせる。中盤というのは、そうはいかない。ここは勝敗のわかれ道であり、文字どおりシノギをけずるべきところだ。記憶や、常識や、ごまかしではどうにもならない。その人の持っている力全部が出る場所が中盤である」

 

「僕などは、どちらかといえば、中盤戦が実にみじかい。序盤に、中盤を越えた考え方をする。そして中盤にモタモタしないように持っていこうと考える。中盤を長びかせることがいいとは思っていないからだ」

 

「中盤は、人生でいえば中年の難所、その人の人生の結びに見通しをつけるべき局面である。ここでしくじったら、もう取り返しはつかない。出てくる問題も変化が多いし、深い。いちばんその人間の長短がはっきり出るところである」

 

「大勝負になれるとか、なれないとか、よくいわれることだが、僕は、これは中盤に処するコツを覚えたかどうかということだと思っている」

 

「冗談をいわれては困る。チェスで取った駒をつかわんのこそ、捕虜の虐殺である。そこへ行くと日本の将棋は、捕虜を虚待も虐殺もしない。つねに全部の駒が生きておる。これは能力を尊重し、それぞれに働き場所を与えようという思想である。しかも、敵から味方に移ってきても、金は金、飛車なら飛車と、元の官位のままで仕事をさせる。これこそ本当の民主主義ではないか」

 

「一時期、ぼくは、神の前に出てもひるまない、そういう将棋を追求した時代があるんだが、突きすすめたものは、そこにきびしさがあり、鋭さがあっても、ならべてみると、なにか楽しいものがあるもんですよ」

 

「もともと将棋というのは、落ち着きのなかに勝負のアヤがあるものなんです。落ち着きを失ったものが敗れるようになっておる」

 

【棋士について】

「プロとアマの違いは、アマはマネでも通用するが、プロの道は独創。まあそうでなきゃ通用しない。だから苦しいが喜びも計り知れない」

 

「棋士は無くてもいい商売だ。だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある」

 

「アマチュアは駒を動かしただけなんです。「指した」ということとは別のことですよ。」

 

「天野宗歩の棋譜を見ると、この人がいかに優れた棋士であり、高い峰であるかが窺える。そして、その棋譜を味わって一番打たれるのは、終局に際して、歩のハシからハシまで、余すことなく参加させて、辛労をともにした駒の全部に勝利の喜びを味わわせようとする配慮が、ヒシヒシと感じられることである」

 

「煎じ詰めて言えば、その持っている欠点を長所にする。これがプロの芸ということになるわけです」

 

【人生について】

「人生は将棋と同じで、読みの深い者が勝つ」

 

「まぁ生まれ直す事があったらね、2つから3つぐらいまでに将棋を覚えて、もういっぺんやり直してみたいと。今度は丈夫な体でね、名人を角落ちぐらいでね、からかってみるのも面白いと、こう思う。」

 

「私はもともと、人生というのは、一手違いだと考えているんです。将棋でいう一手の差で、もう勝敗が決まる」

 

「私は自己暗示というのは、人生にとって非常に大事なことだと思ってる」

 

「人生は、将棋に似ている。どちらも“読み”の深い人が勝機をつかむ。“駒づかい”のうまい人ほど、機縁を活かして大成する。“着眼大局、着手小局”もまた、両者に共通する真理であろう」

 

【創造について】

「人はだれでも特異な存在であり、無から有を創り出す力を授かっている。」

 

「大切なのは創造です。人真似を脱し、新しいものをつくり出すところに、進歩が生まれる。」

 

「私は将棋は創作だと考えている。何はともあれ、一歩先に出た方が勝つ。もし一局ごとに新手を出す棋士があれば、彼は不敗の名人になれる。その差はたとえ1秒の何分の一でもいい。専門家というものは、日夜新しい手段を発見するまでに苦しまねばならぬ。」

 

「僕には不利だ、不可能だといわれるものに挑戦する性癖がある。全部が全部成功するわけではないけれど、それが新型になり、新手を生み、つまり将棋の進歩に繋がる。他の人は安全に先を考えるから先輩の模倣を選ぶ。」

 

【精進について】

「たどり来て、未だ山麓」

 

「時代は変わっても、人間を磨くのは目的に挑戦する苦労だということは変わりません。いまの人も苦労はしてるが、それは物欲を満たす苦労で、自分独特、独創の苦労ではない。」

 

「踏まれても叩かれても、努力さえしつづけていれば、必ずいつかは実を結ぶ。」

 

「不成功に終わる人というのは、自己に無意識のうちに自信喪失させるような暗示をかけている。俺はもうダメだとか、終わりだとか、始終ボヤいたりして、自分を奈落の底に落ち込ませるような自己暗示をね。逆に伸びる人というのは、いつも自分を向上させるような暗示をかけてますよ」

 

「精読するという概念から、もう一歩突っこんで、不可能を可能にする努力、―将棋を創作し、また、勝負を勝ちきるには、この“えぐる”という修練が必要である」

 

「一人前になるには50年はかかるんだ。功を焦るな。悲観するな。もっと根を深く張るんだ。根を深く張れ。」

 

「一心になれる人というのは、自分の人生を完成しますな。世にいう成功者の秘訣というのは、これじゃないかと思う。」

 

「仕事に惚れ、事業に惚れ、一道に惚れ、それに徹したやつは、やはり一途なものが表へ出てくる。惚れただけでなく、成しとげたやつはまたそれに何かが加わる」

 

「難局は、これ良師だ。負けることはありがたい。負けて目覚める、あの手この手だ。苦しみが勉強になる」

 

「やっぱり狙いをつけた一心さ、ですね。そういうときは、仮に失敗しても、非常にいい経験というか、つぎの知恵になります」

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