【将棋の指し込み制とは?】大橋宗銀・伊藤印達の五十七番勝負に見る将棋界の鬼ルールを解説 | ブラジルから王手飛車取り

【将棋の指し込み制とは?】大橋宗銀・伊藤印達の五十七番勝負に見る将棋界の鬼ルールを解説

将棋界には”指し込み制”というルールがあります。
これは江戸時代にはすでにあったルールで、簡単に言うと”ハンデ戦”です。
しかし、トップの棋士達にとっては最大の屈辱であるこの指し込み制は、かの有名な”陣屋事件”を引きおこし問題になりました。
現在でも王将のタイトル戦は指し込み制であり、古くには宗銀・印達の五十七番勝負なんていう死闘までありました。
この記事では”指し込み制”について解説しています。

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指し込み制とは?手直り?

指し込み制とは簡単に言えば”ハンデ戦”です。

指し込み制の起源は不明ですが、江戸時代にはすでにあったようです。

〇勝差つくことを「指し込む」と言い「指し込む」という表現は「手合い違い」を意味します。

例えば”三番手直り指し込み制”の場合だと。

3勝差ついた時点で、手直りをすることを三番手直り指し込み制”と言います。

手直りというのはハンデを見直すことで、手合いを見直します。

つまり、3勝差ついたら、次対局からはハンデ戦になるということです。

平香交じり”になると”平手”と”香落ち”を交互に指していきます。

それでも、さらに3勝差つくと、”香落ち”になり”角香落ち””角落ち”…というようにハンデも増えていきます。

 

王将戦は指し込み制?

こちらが当時、王将戦七番勝負を戦っていた渡辺明先生がツイートした時に添付した”王将戦の規定”です。

2のところに「王将戦挑戦手合いの対局は指し込み七番勝負とする」とありますね。

3のところに「指し込み四番手直り」と書かれてありますが「香落ちは指さずに終了する。」とも書かれています。

つまり香落ち戦は行われませんが、王将戦は今でも”四番手直り指し込み七番勝負”なんです。

現在の将棋界において唯一の指し込み制のあるタイトル戦です。

以下、渡辺明先生の当時のコメントです。

「王将戦では4タテされると”指し込み”という格下扱いされるんです」

ちなみに、渡辺明先生は藤井聡太先生に当時の王将のタイトル戦で4連敗し、記録上”指し込み”となりました。

これは2004年の第54期で森内王将(名人・竜王)が羽生二冠に4連敗して以来の”指し込み”で、王将戦での”指し込み”は第1期木村義雄、第5期大山康晴、第49期佐藤康光と合わせて5回目でした。

どうして、王将戦は指し込み制なのかというと”名人戦”と差別化をしたい当時の王将戦主催社の毎日新聞社の意向によるものです。

当時の升田幸三先生も「王将戦のねらいは、名人の権威を失墜させることにある」と言っています。

この結果、将棋界では有名な”陣屋事件”を引きおこし、現在では、香落ちは行われないようになっています。

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大橋宗銀vs伊藤印達の”指し込み五十七番勝負”

この五十七番勝負は1706年(宝永6年)から1年半かけて行われ”宗銀・印達の五十七番勝負”と呼ばれています。

この両者は大橋家、伊藤家という将棋の家元を代表する二人で、当時、大橋宗銀は当時16歳伊藤印達は当時12歳という若さでした。

次の名人を実力で決める戦いで、そんな若い2人が両家の代表ということは、まさに両者天才少年だったと言えるでしょう。

ちなみに羽生先生と谷川先生の100番勝負ですら約14年かかったことことを考えると、1年半で57番勝負はかなりのぺースで行われたものと思われます。

そしてこの対決は”四番手直り指し込み制”で行われています。

王将戦のようなの”三番手直り指し込み七番勝負”の場合は、七番勝負なので、終わりがあります。

しかし、この”四番手直り指し込み制の番勝負”は手直りしながら対局を継続します。
つまり、ハンデを付けながら永遠と指し続けます。

指し込まれれば指し込まれるほどハンデも増えます。

宝永6年6月に1局目が指され、五十七番勝負が始まりました。

12局目4勝差がついたので伊藤印達は大橋宗銀を”半香落ち”に指し込みます。
25局目で”定香落ち”35局目で”角香交じり”に指し込みます。

※定香落ち:先後関係なく香落ちのこと
※角香車落ち:”角落ち”と”香落ち”を交互に行うこと

宝永8年2月、ついにこの番勝負は終わります。

通算57局指し、通算成績は”21勝36負”伊藤家の勝ち
伊藤印達は大橋宗銀を”定角落ち”にまで指し込んでいました。

将棋の内容は伊藤印達のほうが老獪で実戦的な指しまわしをしていて。大橋宗銀のほうが粗さが目立つ将棋のようです。そのためこのような結果になったのではないでしょうか。

そして、この2人の将棋のすごいところは、2017年10月28日の竜王戦第2局の渡辺明vs羽生善治戦で現れた序盤の局面が、1709年11月1日の大橋宗銀vs伊藤印達戦とほぼ同一だったことです。

SNSでは300年の時を経て、現代に蘇ったと話題になりました。

この五十七番勝負は名人を決める番勝負だったという説も、両家の仲が悪い故の代理戦争だったという説もありますし、100番を予定していたという説もあるし、もっと早く終わる予定だった説もある、どちらかが体調を崩して終わりなったという説もあります。

大橋宗銀のほうが”もう嫌になってやめた”という説もあります。
”半香落ち”でも屈辱的なのに”定角落ち”なんてやってられませんからね。

それに両者に両家の威信をかけたものすごいプレッシャーがあったと思います。

この五十七番勝負のそれから1年後、伊藤印達は15歳の若さで亡くなり、大橋宗銀も20歳で亡くなっています。

結核だったという説がありますが、詳細は不明です。
しかし、この2人の”棋譜”はずっと残り続け、令和になった今も見ることができます。

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