将棋界で一番有名な棋譜号と言えば”5二銀”ではないでしょうか「?
将棋通の人なら”5二銀”と言われただけで、なんの将棋かわかると思います。
NHK杯トーナメントの羽生vs加藤戦にて解説者の米長邦雄が「おおおお!!!」と叫び声を上げるほどの伝説の5二銀を解説している記事です。
羽生善治五段vs加藤一二三九段
1989年2月。
NHK杯将棋トーナメントの二回戦。
羽生善治五段(当時)と加藤一二三九段(当時)の対局で伝説の5二銀は指されました。
先手:羽生善治 五段(当時)
後手:加藤一二三 九段
開設者:米長邦雄 永世棋聖
聞き手:永井英明氏
棋譜読み上げ:蛸島彰子 女流五段
NHK杯将棋トーナメントは、唯一のテレビ放映される将棋棋戦で、この対局も日曜日の午前に通常通り放映されています。
そのため、早指し戦となっており、持ち時間は各10分で、それを使い切ると1手30秒の秒読み将棋となります。
ただし、秒読みに入ってから1分単位で合計10回の”考慮時間”をそれぞれ使用できます。
まあ、持ち時間はちょっとわかりにくいと思いますが、持ち時間約20分ぐらいの早指し戦ということです。
戦型は”角換わり”になり、解説者の米長先生がいつも通りおもしろい解説をしてくれます。
2人の印象を話す米長先生。
「加藤さんは非常に早指しで、非常にお喋りだった。早口でしゃべる少年だった。有吉さんが「ひーちゃんうるさいよ」と叱られていたんです。」
「羽生五段のほうは静か、体つきから谷川さんのようでしょ。この少年はうんと考える、のべつ幕無し考える。」
「加藤さんは長考して普通の手を指す。そして平然としている。そこがね。どうしてもわからないんですよ」
米長先生のトーク。
「このあいだね。新人王戦の決勝がありましてね。羽生vs森内でね。それで終盤のねじり合いのところでね。私がここは”こう指す”ここは”こう指す”と当てていたらね。そしたら控室に棋士が10人ぐらいいましてね。「米長先生、よく羽生くんとおんなじ手がわかりますね」と褒められてね。あれ私は喜ぶべきなのだろうか?米長先生さすがだと言われた(笑)」
このとき羽生先生はまだ世間的には無名の時で、数々のタイトルを獲得してきた米長先生のほうが当時は格が上だった時です。
伝説の”5二銀”
以下の局面で手番は先手の羽生五段(当時)です。
ここで、米長先生が”2三香成り”の変化を解説していた時です。
バシン!!という高い駒音と共に羽生五段が指したのは”5二銀”でした。
当時の解説からもわかるのですが、この将棋はまだどちらが優勢かわからず、ここからさらに長引くだろうなと思われていました。
がしかし、この5二銀という鬼手は簡単に言うと”決めにきた手”なのです。
”終わらせにきた手”とでも言いましょうか。
テレビの前で見ていた将棋ファン含め、プロ棋士の方々、とにかくもう、この”5二銀”の衝撃はものすごかったんです。
当時、テレビの前で見ていた鈴木大介九段も「こんな手があるのか」と「テレビの前で震えた」とおっしゃられていました。
以下、当時の米長先生の感想です。
「すごいことをパウロ先生(加藤先生)も喰っちゃったね」
「いい手だったね。あそこに銀を打った手が」
投了図は以下です。
67手で羽生五段の勝ちとなったこの将棋は何十年も語り継がれる名局になりました。
ちなみに将棋ソフトや将棋ウォーズの棋神では”5二銀”の手ではなく”2三香成り”を指すようです。
(解説していた米長先生の手順と同じ)
この局面では、将棋AIからすると先手勝ちの局面のようで、少し危ない”5二銀”よりも、確実に勝つ”2三香成り”を将棋ソフトは選ぶようです。
解説者が叫ぶ「おおおお!!やった!!」
「おおおおお!!!!やった!!!1」
”5二銀”
という鬼手を見た米長先生が叫んだのは有名ですが、この対局で米長先生は計3回も「おおお!!!」とリアクションされています。
1回目は羽生五段の”2七銀”で「うおお」
序盤早々に棒銀で行くことを宣言したこの一手に驚いたようです。
角換わりの将棋なので本来ここでは、4六歩と歩をついてから4七銀、5六銀という腰掛け銀がオーソドックスな形になります。
しかも、棒銀といえば、加藤九段がもっとも得意としている戦法です。
当時の羽生先生は羽生睨み顕在の頃で、殺気のようなオーラをまとったバチバチの時でした。
相手の得意戦法、得意戦型で挑み、そして勝つところは今も変わっていませんね。
そして、2回目は羽生五段の”1五歩”の開戦で「うおお」
居玉のまま開戦ということで、米長先生は驚かれたようです。
そして3回目がお馴染みの”5二銀”です。
それ以外で特筆すべきなのが加藤九段が”1九角”を打った局面の時に「これは棒銀の将棋では名局というか歴史に残る将棋になるかもしれませんね」と米長先生がおっしゃられていたことです。
文字通り”歴史に残る将棋”になったのですから、さすが米長先生です。
羽生善治の後日談
羽生「対局が終わってからも、多くの人から言われて、何年も経ってからもたくさんの人から言ってもらえる将棋で、個人的にも印象に残っています」
羽生「解説者の米長先生の声が対局室まで聞こえた」
羽生「解説者の叫び声が聞こえたのはあれが最初で最後です(笑)」
加藤一二三九段の後日談
加藤「5二銀より4八玉という手がすごかった。」
以下4八玉の局面
米長邦雄の後日談
米長「あれは解説者が良かった」
米長「私があそこで叫んだから伝説になった」
とおっしゃられていました。
たしかに一理あると思います(笑)
当時の羽生先生は19歳という若さで、まだタイトルも獲っていない頃でした。
このNHK杯将棋トーナメントで、当時の名人含む名人経験者4人を倒して、優勝したことで、周囲に鮮烈な印象を与え、ここからプロ棋士としての羽生先生の伝説は始まりました。