瀬川晶司

【瀬川晶司の奇跡】プロ編入試験に合格しサラリーマンからプロ棋士に!

瀬川晶司先生と言えば、サラリーマンからプロ棋士になったことで有名な棋士。
元奨励会である瀬川先生は奨励会退会後、アマチュア棋士となり、プロの公式戦に出場し、高い勝率をたたき出します。
そして、プロ編入試験で規定の3勝を上げ見事プロ棋士になることができました。
これは瀬川先生の三段リーグからプロ入りまでをまとめた記事です。

瀬川晶司とは

  • 1970年3月23日 生まれ
  • 神奈川県 出身
  • 安恵昭剛 門下
  • 居飛車党

小学五年生の時に、クラスで流行っていた将棋にのめり込み、卒業文集には”プロ棋士になりたい”と記すほどに。

幼馴染である渡辺健弥氏(後のアマ名人、アマ竜王)と切磋琢磨し、将棋の腕を磨きます。

一度は奨励会の入会試験に落ちますが、1984年中学三年生の時に奨励会6級として、プロへの道を歩み始めます。

 

瀬川晶司と三段リーグ

将棋のプロ棋士になるためにはプロ棋士の養成機関である”奨励会”に入会しなければなりません。

奨励会では”26歳の誕生日までに四段になれなければ退会”という厳しい年齢制限があります。

瀬川先生もこの年齢制限に夢破れた一人の奨励会員でした。

中学生の全国大会で優勝するほどの強さだった瀬川晶司先生は中学三年生で奨励会に入会します。

「当然プロになれることしか考えていなかった」

当時の瀬川先生はこう思っていたそうです。
おそらく他の奨励会員達もそうなのだと思います。

将棋のプロ棋士になるためにずっと将棋だけをやってきた天才少年たちは自分がプロになれることを疑わない。

しかし、プロになれるのは年間4人だけだという厳しい現実に天才達は涙します。

瀬川先生もその一人でした。

最後の三段リーグが終わったあと、瀬川先生は文字通り”絶望”したそうです。

瀬川先生の三段リーグの通算成績は72勝72負。
瀬川先生は中学生の全国大会で優勝するほどの強さだったことから三段リーグがどれほど過酷なものかがうかがえます。

 

アマチュア棋士としての瀬川晶司

奨励会を退会した瀬川先生はその後、27歳で大学生になり、スーパーのアルバイトやウエイターのアルバイトといった奨励会時代にはできなかった経験を経て、システムエンジニアとしてサラリーマンになります。

一方で、また将棋も指し始め、瀬川先生はアマチュア棋士へと転向を遂げました。
瀬川先生はアマチュアの大会で優勝し、プロの公式戦へアマチュア枠で参戦します。

特に銀河戦での活躍は7連勝するなど、アマチュアでありながらプロの公式戦の本戦に出場するなどして話題になりました。

特に反響があったのはA級棋士であった久保八段(当時)を破ったことでした。

「A級棋士がアマチュアに負けた」

この話題は当時の将棋界に激震が走りました。

以下は瀬川晶司先生がアマチュア時代に勝った棋士一覧です。

  • 池田修一(引退による不戦敗)
  • 窪田義行
  • 中尾敏之
  • 藤原直哉
  • 豊川孝弘
  • 小林裕士
  • 松本佳介
  • 飯野健二
  • 伊奈祐介
  • 平藤眞吾
  • 久保利明
  • 片上大輔
  • 伊藤能
  • 阿久津主税
  • 大内延介
  • 淡路仁茂
  • 飯塚祐紀

すごい面々ですね。

その中で、通算17勝6負、勝率は7割超えという成績は驚異的でした。

 

プロ編入の嘆願書

「私は瀬川さんのプロ入り希望は大変重要な問題であり、きちんと連盟で議論すべきだと思います。そのためにも、瀬川さんは一刻も早く正式な行動を起こすべきだと思います。」

これは当時の羽生先生の意見です。

アマチュアの将棋指しがプロに編入した例は過去に一度だけありました。
”東海の鬼”と呼ばれた元真剣師”花村元治”です。

そのことを理由に瀬川先生は日本将棋連盟にプロ編入の嘆願書を提出し、可決されます。
このプロ編入事件には多くの人達が関わっていて瀬川先生一人で無しとげたものではないことは瀬川先生の著書”泣き虫しょったんの奇跡”でも書かれています。

しかし、閉鎖的な日本将棋連盟では、アマチュア棋士のプロ編入に反対する声が多かったのも事実で、瀬川先生の嘆願書はまさに、江戸幕府に開国要求を突きつけたペリー提督のようだったそうです。

当時の瀬川先生の嘆願書は以下の通りです。

日本将棋連盟理事会御中

嘆願書

将棋雑誌、一部新聞で報じられております通り、私は日本将棋連盟の正会員になることを希望しております。

もう一度、プロの世界に挑戦してみたいです。奨励会以外でもプロになる道を示して頂ければありがたく思います。

以上について何卒ご検討くださいますよう嘆願いたします。

平成十七年二月二十八日

瀬川晶司

 

プロ棋士編入試験

プロ編入試験では3勝すれば合格、4負すれば失格だったようですが、当時の将棋連盟の米長邦雄会長は

「2勝3敗で第6局まできて負けた場合は、戦いぶりなども加味し、2勝4敗の合格もあり得る。最後は理事会判断ということで含みを持たせておく。5、6局では、予定している2人の四段に代わって中原誠副会長やわたしが対局する可能性もある」

とのことを記者会見で述べられました。

そして、プロ編入試験六番勝負では以下の対局が組まれていました。(段位は当時のもの)

  • 佐藤天彦三段
  • 神吉宏充六段
  • 久保利明八段
  • 中井広恵女流六段
  • 高野秀行五段
  • 長岡裕也四段

編入試験の試験官として、A級棋士である久保八段が入っていることは驚きでした。

これは銀河戦で瀬川アマ(当時)に敗れた久保先生にリベンジのチャンスを連盟側が与えたのかなと個人的には思っています。

A級棋士である久保八段について瀬川先生は、久保戦は負けることを前提として考えていたと語っています。

そして以下が、瀬川晶司アマのプロ編入試験の結果です。

  • 佐藤天彦三段●
  • 神吉宏充六段〇
  • 久保利明八段●
  • 中井広恵女流六段〇
  • 高野秀行五段〇
  • 長岡裕也四段×

※五局目の時点で3勝したので六局目の長岡戦は行われていません。

こうして2005年、3勝2負という成績をあげ瀬川先生はプロ編入試験に合格し、見事、プロ棋士になることができたのでした。

その後、2009年に規定の”30局以上の勝率が6割5分以上であること"を満たし、フリークラスからC級2組にも昇級しています。

以下、瀬川晶司先生のC級2組への昇級後のコメント(日本将棋連盟HPより引用

「C級2組への昇級は第一目標だったので、クリアすることができて大変うれしいです。これからが一人前の棋士としての本当の勝負だと思うので、精一杯頑張りたいと思います。昇級することができたのはファンの方々の応援のお陰です。ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。」

 

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