谷川浩司

谷川浩司の名言まとめ

谷川浩司十七世名人の名言についてまとめた記事です。
中学生で将棋のプロ棋士となり22歳で当時最年少の名人となった光速流の天才『谷川浩司』。
将棋のことや勝負のことなど意味が深い名言をご覧ください。

谷川浩司の名言

【将棋について】

「早く終盤になればいい」

 

「相手の選択肢を狭くする指し方を選ぶと、自分の選択肢も同様に狭くなってしまうという傾向もあります」

 

「余りに多くの情報を手に入れすぎると、逆に先入観に囚われて独自の発想が出なくなる。大事なのは「見て忘れる」ことです」

 

「ミスには、それ以前に、誘発する他の原因がある」

 

「“四十九はあげるけれど、五十一はもらいますよ” という感じで、少しずつ差を広げていくのが、勝つためのポイントなのである」

 

「年代によって、将棋を知るにしたがって好きなところは変わりますね。小さい頃は勝つことが一番楽しかった。でも今は将棋の奥深さが、すぐには答えの出せない懐の深さが好きです」

 

「本当の強さとは、どういうものか? それは、見たこともない局面を見せられ、その中で最善手を自力で発見できるか、どうかなのである」

 

「例えば将棋の初手って30通りあるんですけど、人間は当然、30通りすべてを精査するわけではありません。プロでも、せいぜい3通りくらいしか読まないんじゃないでしょうか」

 

「(局面の本質について)これはなかなか説明が難しいんですけれども、言うなれば「その局面で何が一番重要かを見極めて、ほかの可能性をばっさり排除する力」とでもいいましょうか」

 

「将棋というのは、最初に駒を並べた段階では、その局面の可能性というのは、それこそ無限に近いものがあるんですけど、一手指すごとにその可能性が少しずつ収束されていくものなんですね」

 

「強い人ほど個性がある。四、五段の人はそれほど個性もないから何々流といった名前もつけられていない。段が上がっていくにつれて個性が強くなってくる。ひとつには自信ということがあると思います。下のうちはこんな手をさしちゃって笑われるかなと思いますけど、上になっていくほどこれでいいんだ、正しいんだと自分に自信がついてくるから」

 

「余りに多くの情報を手に入れすぎると、逆に先入観に囚われて独自の発想が出なくなる。大事なのは「見て忘れる」ことです」

 

「将棋に向かう子供の頃の習慣が、学業の中にも生かされて行ったのではないかと思います。将棋を学ぶことによって、様々な力が身についてくると思うのですが、少なくとも、このような力を一つでも身につけておけば、壁に突きあたった時、突破する力となって行くと思います」

 

「やはり将棋の楽しさというのは、人と人との交流にあるのです。しかも、将棋は言葉が通じなくとも交流ができるわけですね。将棋連盟としても、昨年の国際フェスティバルのようなものを開いて、将棋の楽しさ、交流する楽しさをそれぞれの国に持ち帰ってもらうことを願っています。ISPSとしても、人的な関係を多く作っていただいて、将棋の楽しさを、一人でも多くの方に伝えていただければと思います」

 

「将棋はミスしたほうが負けるゲームである」

 

【プロ棋士について】

「(プロ棋士になって1、2年後にプロの意味が分かってきた当時を振り返って)プロの自覚と勝負の厳しさを体験することによって、本当の意味でプロ棋士になれたのかな、と思っています」

 

「中学三年の時です。序盤で大きなミスをして、普通、夜中までかかる将棋が、持ち時間を残して4時ごろに終わってしまったのです。勝ち負けは別として、プロとなったからには、与えられた条件でベストを尽くさなければならないと自覚しました」

 

「(中学2年生でプロ棋士になった当時を振り返って)まだ、プロとしての実感があったとは思えません。ただ、一生将棋を指していけるという喜びは心に残っています」

 

「普通、他のタイトルを先ず取り、それから名人になるのですが、私の場合は、最初のタイトルが名人であったわけです。中原先生の時代が長く続き、新たな息吹を求める、時代の波とか、勢い、に乗れた名人獲得でもありました」

 

「これで弱い名人から並みの名人になれたと思います」

 

「中原名人の下座に座り、名人を取るのが夢でした」

 

「十八世名人を簡単には誕生させない、ということも私の務めだと考えています」

 

「負けたくない気持ちがなければ、現役で続けている意味がない」

 

「プロ棋士になる人の将棋の基礎って、10代でだいたい決まるんですよ。10代の頃に学んだこと、教わったこと、あるいは自分が10代だった頃のトップ棋士がタイトル戦でどんな将棋を指していたか。それによって、その人の将棋観というのかな、基礎的な考え方みたいな部分
がかなり固まるんですね」

 

「日常でもいろいろ研究している時は凄く楽しいですし、対局という場で、その研究成果を試す時というのは、多くの棋士にとって心躍る瞬間だと思います」

 

「棋士には,勝負師の部分と研究者の部分,そして芸術家の部分が必要だ」

【人生について】

「何度も何度も負けたとしても、自分の道をひたすら歩き続ければ、やがてそこに一本の道が拓けてくる」

 

「迷ったときは原点に戻って再スタートすればいい。それが、いい人生につながる」

 

「大事なのは、負けた経験や挫折感を、後の人生でどう生かすかです。生かすことができれば、負けや失敗は長い人生の中で失敗にならなくなる。むしろ、とても大切な糧にできる」

 

「反省は、失敗を客観的に分析して、これからに生かせる未来思考なのだ」

 

「登山家は山に迷ったら、元の場所に戻って再スタートするそうだ。迷ったときは原点に戻って再スタートすればいい。それが、いい人生につながる」

 

「きっと、子供の頃に外国を経験すると言うことは、大きなことだと思います。1990年の竜王戦でフランクフルトに行ったのですが、私にとって初めての外国でした。非常に強く印象に残っていますね」

 

「運はみんなが平等に持っていると思います。それをどういう場面で使うかが問題で、ここ一番に使える人が「運のいい人」だと言われるんじゃないでしょうか」

 

【才能について】

「毎日の努力の積み重ねを、それほど苦にせずにできることこそ、才能といえる」

 

「まったく関わりない偶然としての幸運などない。積み重ねた努力や、そうした自分を盛り上げてくれる人たちに応えようとする気力が、無意識のうちに局面に最良の一手としての “強運” を導いてくれるのではないか」

 

「一流の素質は「好き」と「努力をし続けられる」こと」

 

「私は、最初の気持ちをずっと持ち続けられることと、一つのことを努力し続けることを苦にしないことが、もっとも大事な才能であると考えている」

 

【上達について】

「最初から強い人はいないわけで、やはり最初は負けっぱなしですから。「何を!」と思って続けていく人が強くなるのでしょう。それは何にでも最初あるんでしょうね。「負けず嫌い」というのがないと上がれない」

 

「自らの負けを潔く認めることが、次の勝利へとつながっていくのである」

 

「「負けました」といって頭を下げるのが、正しい投了の仕方。つらい瞬間です。でも「負けました」とはっきり言える人はプロでも強くなる。これをいいかげんにしている人は上にいけません」

 

「才能という言葉が必要になるのは、ある高さまでいってからで、努力によって自分の力を最大限にまで高め、その限界を乗り越えようとする時に、初めて才能というものが必要になってくるのではないだろうか」

 

「「負けず嫌い」というのがないと上がれない」

 

「理屈や言葉で了解する前に「ピンとくる」「なんとなく分かる」と感じる直感がまず働き、その後に対策を考える。思考力を養うには、そこにいたる筋道をいかに短くするかが重要なのである」

 

「ただ時間を費やして考えているだけでは意味がないのだ。何を何のためにどう方向づけて考えるのか。思考とは結果を導き出さなければ、ただの時間の無駄遣いでしかない」

 

「こうあるべきだ」という思考からは、柔軟な発想は生まれないのだ。当たり前の中に隠された物を探り出そうという発想が、固定観念を打破するもとになるのである」

 

「何事に対しても “できる” という方向で考えないと、物事は進まないのである。“できる” という方向から攻めると、思わぬアイデアが生まれるものだ」

 

「勝っても、それで自信過剰になり、努力を怠れば勝ったことがマイナスになる。負けたとしても、その敗因を冷静に判断し、次につなげるべく努力していけば負けたことがプラスになる」

 

「周りが無理だと思っていても、自分が『できる』と思っている間は可能性がある」

【勝負について】

「いい時は焦らない。悪い時は諦めない」

 

「普段(練習将棋で)は自分が一番弱いと思って指し、大会では自分が一番強いと思って指す」

 

「実力のある人は、姿勢からして端正である」

 

「本当に強い人とは、対局中にも人への配慮を忘れないような、心のゆとりをもっている人だと思う」

 

「落とし穴がある。経験はプラスにもなるが、マイナスになることもあるのだ」

 

「勝負師の条件は、負けた悔しさをバネに勝つことだ。そして、勝ちたいという気持ちを持ち続けることである。敗者の美学という言葉があるが、負けて満足するのは自己満足でしかない」

 

「現状は悲観的に、将来は楽観的に」

 

「充実している時にこそ、現状を打破するやる気を持つことが大切なのだ」

 

「勝負の世界に偶然はありません。一夜漬けは通用しない。毎日毎日の積み重ねがすべてなんです」

 

「豊かで奥深い感性を養うことで得た閃きが、勝つための思考へとつながる」

 

「勝負で、戦いにくい相手というのは、岩のように、山のように動かない人だ」

 

「勝負事に限らず、何事も腰がひけては前に進めない。攻めの気持ちがあると集中力が高まり、迷いが吹っ切れる」

 

「勝負においては『勝たしてやりたい』『彼が勝ったほうが将棋界にもいいのだ』という目に見えない力が後押しすることがある」

 

「勝負師の条件は、負けた悔しさをバネに勝つことだ。そして、勝ちたいという気持ちを持ち続けることである。敗者の美学という言葉があるが、負けて満足するのは自己満足でしかない」

 

【仕事について】

「会社などの組織の中では、ともすれば飛車や角のような強力な人材だけを重んじて、歩のように目立たないけれど大切な役割を果たしている人を切り捨てることになりがちです。でも、本当はそれではバランスのよい組織にならない」

 

「仕事に対していいかげんな人は嫌いです。遊びに対してはいいかげんはある程度かまわないと思うのですが」

 

「物事を推し進めていくうえで、その土台となるのは創造力でも企画力でもない。いくら創造力や企画力を働かせようとしても、道具となる知識や材料となる情報がなければ何も始まらないのだ。知識は、頭の中に貯えられた記憶の体験が土台になるのである」

 

【羽生善治について】

「羽生さんの強さは、私が一番良く知っている」

 

「嫉妬心、がありましたね。自分にないものが彼にはあると。私は終盤の寄せに絶対の自信があって逆転負けはあまり経験がなかったのですが、羽生さんには、こちらがリードしていても、読みにない手を指されてひっくり返されてしまう」

 

「意識過剰になって、自分の将棋を見失っていましたね。本来は自分の棋力を向上させ、対局で100%力を出すことが一番大事なんですけれども、どうしたら羽生さんに勝てるのか、ということばかり考えていた。このままずっと負け続けるのではないか、と」

 

「羽生さんには随分と痛い目に遭いましたけど、彼のお陰で私も高めてもらった。名局は二人で作り上げていくものですし、名勝負はやはり大きな舞台が生み出す。私ももっと若い人たちと大きな舞台で戦いたいですね」

 

「将棋の棋士って,あんまり相手の顔を見ないってことになってるんですよ。昔は,よく羽生さんが相手を睨むって言われたりもしたんですが,多分,本人は睨んでいるつもりはないと思います(笑)。将棋盤を見ていると,どうしても厳しい目をしてしまいますから,その同じ目で,少し顔を上げて相手を見たときに,何か睨んでるような感じになるってだけの話で」

【詰め将棋について】

「(詰将棋について語った言葉)本業に差しさわりのない程度に、関わって行きたいと思っています。江戸時代に、時の名人が献上百番を残しましたので、私も、そのようなものを残したいと思っています。かなりの長編になりますので、あまり一般向けにならないのですが」

 

「(詰将棋の海外普及について)詰将棋というのは、簡単なものは将棋の上達の上で大切なものですが、詰将棋には芸術的なものがありまして、しかも、図面と解答だけがあれば、解説はあまりいりませんから、日本語が読めなくても分かると言う面があると思います」

 

「詰将棋も好きなものですから、終盤の入り口あたりから詰む形をイメージして、イメージを具体化するために局面を作っていく傾向はあります。それが、他の棋士より詰め形を考えることが早かったのかなという想いはあります」

 

「それこそ、かなり複雑な、1年くらいかけて作った詰将棋でも、コンピュータにかけると1秒で解かれるわけです。その詰将棋がちゃんと出来てるって証明にはなるんですけども、ちょっと切ない気分にはなりますよね」

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