矢内理絵子女流は端正な顔立ちと透き通るような声から将棋のイベントや解説でも大人気の美人棋士です。
そして「戦いは最後の5分間にある」というナポレオンの言葉を座右の銘にした勝負師でもあります。
この記事では矢内理絵子女流を紹介すると共に、時計投げつけ事件を解説しています。
矢内理絵子とは
- 1980年1月10日 生まれ
- 埼玉県 出身
- 関根茂 門下
- 居飛車党
矢内理絵子女流は透き通る声と165cmのスラっとしたスタイルを持った美人棋士として知られています。
将棋のほうは13歳で女流2級としてデビューしたのち、女流名人を含む数々の女流タイトルを獲得しているトップの女流棋士でもあります。
将棋は居飛車党で初タイトル獲得の原動力ともなった”菊水矢倉”を指すことから”矢内矢倉”とも呼ばれるように。
2013年には一般人男性と結婚し、子宝にも恵まれています。
奨励会時代の矢内理絵子
矢内女流はプロ棋士の登竜門でもある”奨励会”に入っていたことがあります。
今でも男ばかりの奨励会ですが、当時は珍しく、矢内女流の他に、竹部女流、千葉女流の3人が同時期に奨励会に入会していました。
このことから3人は”奨励会3人娘”と呼ばれていました。
矢内女流はかなりの負けず嫌いで、対局で負けた時に「ムッ」とした怖い表情になることもしばしば。もちろん本人は意識していないでしょうが。
そんな矢内女流ですが、男性奨励会員になかなか勝てずに苦戦していた時期があります。
当時の将棋界では「女はプロ棋士になれない」という男女差別的な考えが普通だったので、男性奨励会員に負けることは、より一層悔しかったことと思います。
大棋士升田幸三も「女は抱き心地さえよければいいんだ」と発言しているほどです。
今言ったら間違いなく問題発言になるでしょうが。
その後、矢内女流は思うように成績が振るわず、奨励会に7年半在籍したのち、奨励会2級で退会しています。
矢内理絵子の時計投げつけ事件
苦戦していた奨励会時代の頃。
矢内女流は勝勢だった将棋を大逆転負けしてしまいました。
悔しかった矢内女流はトイレに駆け込み、自身の腕時計を思いっきり地面に投げつけたことがあるそうです。
その場にたまたま居合わせた千葉女流が「ちょっと!なにしてんの!?」と注意しますが、矢内女流の怒りは納まりません。
「なによ!!」
と言い返し、なぜか千葉女流とそのまま口論に発展します。
そのあとどうなったかはわかりませんが、相当悔しかったんでしょうね。
矢内女流の普段の落ち着いた口調からは想像もできません。
ちなみに矢内女流は女流名人の頃、フランクミュラーという高級腕時計をしていました。
(現在もしているかどうかわかりませんが)
さすがに高級腕時計をしていれば、もう投げつけるなんてことはしないでしょう。