「千日手は一つの芸術。そこに将棋の奥深さがある。」by 加藤一二三九段
千日手と言えば永瀬拓矢先生を思い浮かべるかもしれませんが、元祖千日手王は三浦弘之先生なんです。
先手番でも千日手を指す棋士だった三浦弘行九段。
この記事では藤井猛九段の証言を元に三浦九段の千日手戦術を解説しています。
元祖千日手王・三浦弘行
千日手王と言えば永瀬拓矢先生を思い浮かべそうですが、元祖千日王と称されたのは三浦弘行先生です。
昔の三浦先生は先手番でも千日手になるのを嫌わない珍しい棋士でした。
劣勢の場合は先手番でも千日手に持ち込むこともありますが、局面が互角の場合、先手番で千日手にするのは、指し直し局で後手番になってしまいます。
プロ棋士の公式戦の先手番と後手番の勝率は、先手番52%ぐらいです。
とすると、勝率が約48%の後手番になるというのは、将棋観が少しズレているというか、将棋に真摯に取り組んでいる人達からすると少し苛立たしいことでもありました。
特に昔は千日手を嫌う傾向にあったので、先手番でも千日手をしてくる三浦先生は棋士達の間では評判が悪かったそうです。
なぜ三浦先生は先手番でも千日手を嫌っていなかったのかというと、先手になった三浦先生は序盤を早指しでどんどん指します。
対する後手は一手一手に最善の手を探求し、時間をかけて指してきます。それがプロというものです。
そうすると、三浦先生と対局相手との持ち時間に差が生まれてしまいます。
こうなってしまえば、千日手で後手番になろうが、三浦先生のほうが持ち時間が多いので、指し直し局で勝ちやすいという理屈でした。
これは嫌われますね(笑)
藤井猛戦で千日手
以下は藤井猛九段の証言です。
ある日、先手が三浦弘行先生、後手が藤井猛先生の対局がありました。
この対局で、三浦先生は持ち時間をあまり使わずに指し、序盤の革命家である藤井先生は序盤に時間を使って考えて指していました。
手数が進むにつれて、両対局者の持ち時間の差はどんどん大きくなっていき、2時間ぐらいの差がつくと、三浦先生は千日手を狙ってきます。
千日手を嫌わないどころか、千日手を狙ってくる三浦弘行九段。
持ち時間がない藤井猛九段は千日手指し直し局になったら不利なのがわかっているため、千日手を打開せざるを得ず、そのまま負けてしまったそうです。
このことを後年、大盤解説会で三浦先生の目の前で藤井先生は話しました。
「あれ、汚い戦術だよね?」
「ああいう時の心境どうなの?」
「勝ってもうれしくないでしょ?」
と三浦九段に直接抗議。
三浦九段はただ気まずそうに苦笑いしていました。
佐藤康光戦で千日手
以下も藤井猛九段の証言です。
三浦vs佐藤(康)戦にて、この対局でも先手番の三浦先生は早指しで飛ばし、対戦相手の佐藤康光先生は時間を使いながら指していました。
ある程度、持ち時間に差がついたのを見計らった三浦先生はここでも千日手を狙いにいきます。
しかし、漢・佐藤康光は一手損をしながら千日手を打開しに行ったそうです。
以下がその時の部分図で後手の佐藤康光が”3二の玉”を”2二玉”とせずにわざわざ”2三玉”としてから”2二玉”としたそうです。
以下、大盤解説での藤井猛先生と三浦弘之先生のやりとりです。
藤井猛「あれ、抗議なんですよ」
三浦弘行「…」
藤井猛「(千日手で)佐藤さんが先手になって一手得するから、そんな一手いりませんと抗議してるんですよ」
藤井猛「それで佐藤勝ちなんだから、かっこいいでしょ?」
会場「おー!」
藤井猛「(三浦を指さして)かっこ悪い」
三浦弘行「…」三浦弘行「言いたいことは色々あるが、そんな単純な話ではない」
羽生善治戦でも千日手
三浦vs羽生戦でのこと。
どちらが先手だった詳細は不明ですが、この対局は千日手になりました。
千日手になったので、指し直し局開始まで休憩となります。
その時、対局室から出て行く羽生先生は鬼のような形相だったといいます。
これが千日手に対する怒りだったのかは定かではありませんが、納得いかない何かがあったことは間違いないでしょう。
その指し直し局では羽生先生の勝ちになっています。
ちなみに感想戦ではいつもの羽生先生に戻っていたそうです。