坂田三吉

【南禅寺の決戦】坂田三吉vs木村義雄・大阪名人の端歩突き9四歩の意味

大阪、新世界、通天閣の下にはある伝説の棋士を称えて”王将碑”が置かれています。
自ら大阪名人を名乗った反逆孤高の棋士、その伝説の棋士の名前は”坂田三吉”
南禅寺の決戦で坂田三吉はどうして初手に9四歩と端歩を突いたのか?
この記事では坂田三吉の「南禅寺の決戦の端歩突き」の伝説を解説しています。

坂田三吉の生い立ち

  • 名前:坂田三吉(さかたさんきち)
  • 生年月日:1870年7月1日
  • 死去: 1946年7月23日
  • 出身地:大阪府堺市
  • 師匠: 小林東伯斎八段、小野五平十二世名人

1870年生まれで、家が貧しく、幼い頃から丁稚奉公をしていたため文字を知らず、生涯覚えた漢字は「三」「吉」「馬」の三字だったようで、そのためか苗字には「坂田」と「阪田」の二種類の表記が混在しているようです。

賭け将棋で鍛えたその実力は本物で、死後、日本将棋連盟から名人・王将の称号が贈られました。

北条秀司原作による「王将」というタイトルの戯曲や映画、さらに歌のモデルになったことでも有名で、当時も関西を中心に相当の人気があったことがうかがえます。

 

Sakata_Sankichi

出典先:wikipedia

 

実力制名人への転換 「坂田三吉の復活」

1937年は将棋界としては世襲制名人から実力制名人へと移行した大きな転機とも呼べる年。

つまり、それまでは家柄や地位、評判で名人になれたのですが、実力制になってからは一番強い者が「名人」を名乗る時代になったのが1937年からなんです。

初代実力制名人を決める最初の名人決定リーグ戦が行われていたのですが、そのリーグ戦に坂田三吉は出場していませんでした。

当時の坂田三吉は自称「大阪名人」を名乗っていたことから、東京将棋連盟から名人僭称とみなされ、連盟と冷戦関係にあり16年間も将棋を指していなかったようです。

しかし、あの坂田無しでの名人を決めても異論が出ることは間違いないだろうとのことで読売新聞社主催で特別対局が行われることとなりました。
それが「坂田三吉」と当時名人最有力候補の「木村義雄」の対局でした。

「あの伝説の棋士がまた将棋を指す」

「あの男が帰ってきた」

伝説の棋士「坂田三吉」のカムバックを読売新聞社は大々的に報じ、世間の注目はこの「事実上の名人戦」に一気に集まります。

名人リーグを戦っていた木村義雄自身もこう述べています。

「坂田を倒さず、名人なし」

 

南禅寺の決戦「伝説の9四歩」

この時、坂田三吉は66歳、対する木村義雄は32歳

ちなみにこの二人は過去に対戦したことがあります。
それは木村義雄がまだ12歳の時、坂田の飛車落ちで二局指し、1勝1負
この時、木村は少年ながら「なんて強い人なのだろう」と思ったそうです。

それから20年…。
対局が行われた舞台が南禅寺だったこともあり、この対局は「南禅寺の決戦」と呼ばれ、のちに坂田の孫弟子に当たる内藤國雄はこの南禅寺の決戦を「三百七十年に及ぶ将棋の歴史の中で、最大の一番」と称しています。

そしてこの南禅寺の決戦は持ち時間両者30時間(全日程7日間)という今では考えられないような長丁場での対局ルールでした。

先手の木村義雄の初手7六歩で始まったこの将棋、坂田は二手目に伝説となって語り継がれる一手を指します。
それが端歩を突く”9四歩”です。

 

9四歩の局面

 

上の局面図のように一番端の歩を前進させたこの一手…、この手の意味の捉え方は様々ですが、普通に考えるとこの手の意味は一手パス。

この事実上の名人戦とも呼ばれている大一番で後手番にも関わらず坂田三吉は二手目にパスをしたのです。
この常識外の一手に対局者も観戦者も誰もが驚きます。

「なぜ坂田は二手目に9四歩なのか?」

「この手の意味はなんだろう?」

また、この手は関西の棋界を背負っていた坂田の、東京への反骨精神の表れとも見られています。

つまり怒りの挑発との見方もあります。

 

「一手パスしてやるからかかってこい若造」

「俺は初手端歩突きでも勝てる」

と、こんな感じに思っていたんでしょうか?

しかし南禅寺の決戦を制したのは木村義雄でした。

そして翌月、もう一番、読売新聞社により予定されていたのが「天竜寺の決戦」でした。
これは木村義雄に次ぐ名人候補の「花田長太郎」との対局で、この対局でも坂田三吉は後手番で二手目に端歩(1四歩)を突いています

結果は169手で花田の勝ちとなっています。

 

端歩突きの真相

後日、坂田は弟子からのこの端歩突きについて聞かれた時にこう答えました。

「今にわかる」

この言葉から読み取れることは「この手には意味がある」ということでしょう。

なので挑発ではなく、坂田三吉は本気で二手目に端歩を突いたことになります。

そして南禅寺の決戦から約80年以上が経った現在…。

最近では端歩が認知され、序盤の早い段階で端歩を突くプロの将棋を見ることも珍しくありません。

当時は理解されなかった端歩の意味が、何十年も経過してから徐々に理解されつつある。

南禅寺の決戦で坂田三吉の指したこの9四歩は間違いなく伝説の一手として今後も語り継がれていくことでしょう。

 

将棋世界「イメージと読みの将棋観」での評価

”将棋世界”

という将棋雑誌の企画でこの坂田三吉の9四歩が取り上げられたことがあります。

この「イメージと読みの将棋観」という雑誌の企画ではプロ棋士があらゆる将棋の疑問や問題に対して自身の将棋観を語るものでした。

当時のメンバーは以下の通り。

  • 羽生善治
  • 佐藤康光
  • 森内俊之
  • 谷川浩司
  • 渡辺明
  • 藤井猛

当時のトップ棋士6人による将棋評論です。

そして、この時のテーマは「坂田三吉の9四歩をとがめる方法はあるのだろうか?」というものでした。

以下それぞれの解答をまとめました。

羽生善治「9四歩は相手をびっくりさせる効果しかない」

佐藤康光「具体的にとがめるのは難しい」

森内俊之「基本的には先手が指しやすいが、9四歩が悪手とは限らない

谷川浩司「9四歩をとがめにくくなるので、2六歩とは突きにくい」

渡辺明「角換わりの将棋にしたくないので、5六歩と突きたい

藤井猛「一手損角換わりになると、9四歩をとがめることができない

まとめると、9四歩自体をとがめるのは難しいとのことで、9四歩という手が良い手という解釈はなく、悪い手という前提でこの手をどうとがめるか?に論点がありました。

 

木村義雄の9四歩に対する評価

最後に、実際に9四歩を指された木村義雄実力制名人の評論です。

以下の文は同じく将棋世界に取り上げられたものです。

木村義雄「史上名高いこの戦いも、後世の評価はかんばしいものではない。凡局という人がほとんどで、中原誠のように「いい将棋」と見る人はごく少数のようである。また、坂田の指し手は、謎というか、不可解な手がいくつかあり、その評価も難しいということもある」

ちなみに有名な将棋漫画ハチワンダイバーにもこの坂田三吉の9四歩が取り挙げられているシーンがあります。

しかも鈴木大介先生の解説付きです。

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