【林葉直子の波乱盤丈の人生】天才美人棋士から余命宣告までのまとめ | ブラジルから王手飛車取り

【林葉直子の波乱盤丈の人生】天才美人棋士から余命宣告までのまとめ

天才美女林葉直子

「私は、不倫で将棋界からいなくなっちゃった。バカなことをしました。中原先生との子どもを産んでいたら、名人ぐらいにはなっていたかな。もしかしたら、藤井聡太くんにも勝てたかも」と語った林葉直子。
将棋の才能、執筆の才能、そして美貌も兼ね備えていた天才美人棋士は不倫、ヌード、借金、病気、余命宣告と激動の人生を送ることになってしまいました。
女流棋士林葉直子の波乱万丈の人生をまとめた記事です。

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天才美人棋士・林葉直子

5歳で将棋を覚えた林葉直子先生は、小学6年生の時には女流アマ名人戦という大人も参加する棋戦で優勝してしまうほどの強さでした。

天才少女と呼ばれた林葉先生はその後わずか14歳で女流王将のタイトルを獲得します。
この14歳3ヶ月という記録は現在も破られていない女流棋界の最年少記録です。

その後、連続で10期獲得し初の”クイーン王将”の称号を獲得。
タイトル獲得数の合計は15期です。

将棋の才能もあり、ルックスも抜群に良かったため当時は”天才美人棋士”として話題になりました。

しかし、この時の女流棋戦の対局料は一局で3万円ほど、タイトルを獲得しても30万円程度だったようで…「あまりにも対局料が安いし、理事の先生に怒られたりして、ずっとこれを続けなきゃいけないのか」と思った林葉直子先生は1995年に27歳という若さで引退してしまいます。

 

小説家としての才能

1987年に”とんでもポリスは恋泥棒”というタイトルのライトノベルで小説家としてもデビューしている林葉直子先生。

1987年とのことなので、19歳の女流棋士として将棋を指しながら執筆活動もしていたということになります。

その他の作品には”とんでもポリス”や”キスだけじゃイヤ”そして、将棋雑誌である”将棋世界”では”直子の将棋エアロビクス”という連載を持っていました。

執筆活動での一番のヒット作は2004年から4年間連載した”しおんの王”という将棋漫画です。
この漫画で原作を担当したのが”かとりまさる”こと林葉直子先生なんです。

将棋の才能もあり、執筆の才能もあり、美貌も兼ね備えているという天に二物も三物も与えられた林葉直子先生。
しかし、その人生はいいことばかりではありませんでした。

 

失踪事件と不倫騒動

1994年、林葉直子先生は失踪事件を起こします。
これは当時の将棋連盟およびその他関係者のデマや勘違いからマスコミに”失踪事件”として報道されます。

帰国した林葉は失踪事件についての記者会見を行い。

「こんなことになっているとは知らず驚きました」

「海外への将棋普及のためにイギリスを訪問していました」

と回答。

しかし、事の真相はそれから4年後の1998年、週間文春の、いわゆる文春砲によって世間に暴露されてしまいます。

この文春砲の内容は林葉直子先生と中原誠先生の5年間にも及ぶ不倫関係を報じるもので、将棋界はもちろん全国に激震が走りました。

報道で暴露された内容は以下の通りです。

  • 1992年から不倫関係が始まったこと
  • それから不倫関係は5年間も続いたこと。
  • 失踪事件は中原誠との不倫関係に悩み、切羽詰まった林葉が取った行動であること。
  • 中原誠からのストーカー行為まがいの嫌がらせを受けていたこと

が明らかになりました。

【プロ棋士と女流棋士が不倫】中原誠と林葉直子の5年間に及ぶ愛人関係【林葉直子失踪事件の真相】
「林葉直子は中原誠の愛人だった」 将棋界に激震が走ったのは1998年。 大棋士中原誠永世十段と林葉直子女流五段の不倫騒動が週間文春でスクープされました。 この不倫騒動は4年前に起きた林葉直子失踪事件と関係があり、将棋界のみならず世間を騒がせた一大ニュースとなりました。 中原誠の留守番電話の内容が完全に嫌がらせのストーカー行為。

その中でも中原誠先生の林葉直子先生に対する留守番電話の録音テープは世間に大きな衝撃を与えました。

そして林葉先生の中原先生へのラブレターも流出してしまいます。

「あなたに逢えたことはなによりもの私の幸せです。」
「永遠に私はあなたを愛しています。」

林葉直子

失踪事件、不倫騒動、留守番電話の嫌がらせと中原先生とは色々ありましたが、後年に渡って林葉先生は中原先生のことを悪く言ったことは一度もありません。

 

ヌード写真集と借金

林葉直子先生は失踪事件があった翌年に女流棋士を引退します。

引退の理由は上述した通り、対局料の安さや理事の小言への不満です。
27歳という若さでの引退は世間を驚かせましたが、さらに世間を驚かせたのは引退した直後、林葉先生が自身のヌード写真集を発売したことです。

このヌード写真集のギャラは800万円だったと後年に述べています。

そして、その内の300万円を将棋雑誌の記者だった友人を助けるためにあげたそうです。
そもそもの理由として、その友人を助ける300万円のためにヌード写真集の仕事を引き受けたとのことでした。

その後、計3冊のヌード写真集を出した林葉直子ですが、アメリカを始め、いろんな国を旅行していたらそのヌード写真集で稼いだお金を全部使い果たしてしまったそうです。
ちなみにBカップからFカップへの豊胸手術もしていて、それには200万円の費用がかかったそうです。

お金がなくなった林葉先生ですが、さらに追い打ちが待っていました。

女流棋士時代から銀行の通帳と印鑑を父親に預けていた林葉先生。
娘のお金で勝手に車を買ったり、女遊びに使ったりと散財しまくっていた父親は”林葉直子”名義で1億円の家を買ってしまい、父親の死後、林葉先生がその借金を全部背負うことになってしまいました。

そのこともあって2006年に林葉先生は自己破産をしています。

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お酒と病気

2006年に”アルコール性肝硬変”という肝臓の病気になっていることが発覚した林葉直子先生。

最初の症状は吐血でした。
歯茎からは頻繁に出血、そして妊婦のようにお腹が膨れており、2014年には余命1年と医師から宣告されてしまいます。

肝硬変になった原因はお酒の飲み過ぎで、きっかけは中原誠先生との不倫騒動でした。

林葉直子先生曰く。

「相手が同業者だったので、ご迷惑をおかけして一緒の世界にはいられなくなった。飲んでなきゃいられなくて、お酒がありがたかった。不摂生な生活を送っていた。今思えば将棋をやっていれば対局前は飲まないので、続けていればよかった。」

この時の林葉先生の酒豪っぷりは驚くものばかりです。
ウイスキーをボトル1本呑みほしてしまうのは毎日のことだったようで、多い時にはブランデーを2本も空けていたそうです。

肝硬変になった林葉先生は余命宣告を受けたあと、きっぱりとお酒をやめ、塩分摂取量もきちんと計算して節制生活を送るようになりました。

すると、余命1年と宣告された林葉先生は4年すぎた頃にはほぼ全部の肝臓の数値が正常にもどったそうです。

 

最後に

「ホーンテッドマンションの住人」

自身の容姿のことをテリー伊藤さんにそう言われた林葉直子先生は無邪気に笑っていました。

50歳を過ぎた林葉直子さんの体重は38キロ。

顔は痩せこけてしまい若い時からだいぶ変わってしまいましたが、心はあの頃のまま純粋無垢。

上記の壮絶な人生からも垣間見えるように林葉直子さんはとても素晴らしい人柄をお持ちで、現在も多くの人に慕われています。

多くの才能を持った美女は性格も良く、素晴らしい人でした。

そんな林葉直子さんのご健康とご長寿を心より願っています。

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