【プロ棋士と女流棋士が不倫】中原誠と林葉直子の5年間に及ぶ愛人関係【林葉直子失踪事件の真相】 | ブラジルから王手飛車取り

【プロ棋士と女流棋士が不倫】中原誠と林葉直子の5年間に及ぶ愛人関係【林葉直子失踪事件の真相】

突撃不倫騒動

「林葉直子は中原誠の愛人だった」
将棋界に激震が走ったのは1998年。
大棋士中原誠永世十段と林葉直子女流五段の不倫騒動が週間文春でスクープされました。
この不倫騒動は4年前に起きた林葉直子失踪事件と関係があり、将棋界のみならず世間を騒がせた一大ニュースとなりました。

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林葉直子の失踪事件

「まさか、こんな騒ぎになっているなんて…」

とイギリスから帰国した林葉直子先生は記者会見で驚いた様子で質疑応答をしていました。

1994年、林葉直子女流の失踪事件が起こりました。

失踪事件ということになってしまいましたが、実際にはきちんと将棋連盟に”休場届け”を提出していたようです。
その後の手違いで「インドにサイババに会いに行った」などの噂が流れ”失踪事件”として報道されるようになりました。

ちなみに「サイババに会いに行った」とデマを流したのは林葉直子先生の元師匠である米長邦雄先生だったとか…。

米長邦雄のおもしろエピソードと名言、ツイート集【まとめ】
「兄達は頭が悪いから東大へ行った。自分は頭が良いから将棋指しになった」将棋界には、こう発言した大棋士がいます。それが米長邦雄という元将棋連盟会長です。「彼だけは会長にしてはいけない」こう言われた米長の奇行、下ネタ、師匠との爆笑トークまでおもしろいエピソードを一挙に紹介している記事です。

帰国後の会見で林葉先生は「海外に将棋を普及するためにイギリスに行った」と説明していますが、真実はそれから4年後の1998年に明らかになりました。

 

プロ棋士と女流棋士の不倫関係

林葉直子先生は14歳で女流のタイトルを獲った天才女流棋士。今もこの記録は女流界の史上最年少記録です。

そんな林葉女流の憧れの棋士は”中原誠先生”でした。

中原先生に会いたい林葉先生は知り合いだったプロ棋士の神吉宏充先生にお願いし、3人で食事に行くことに…。
そこから中原誠先生と林葉直子先生の関係が始まり、1992年の8月からスタートした2人の不倫関係は5年間も続きます。(1992年当時、中原誠44歳、林葉直子24歳)

林葉直子先生本人のブログでは、対局の後はすぐに行為に及んでいたとの趣旨が書かれているほどです。

林葉直子曰く「中原さんは会うたびに体を求めるタイプ。避妊もしなかった」とのこと。

そんな関係が続き、1994年に林葉直子先生の失踪事件が起こります。

「海外に将棋の普及のため」と言っていましたが、失踪した本当の理由は”妊娠”でした。

中原先生との間に子供ができたので、中絶しにイギリスに行った林葉先生。
しかし、検査の結果、妊娠はしていなかったようで、林葉先生は急遽、イギリスとアイルランドの旅行に変更。

旅行を満喫している間に日本ではなぜか”失踪事件”になっていたというのが真相でした。

 

将棋界に文春砲

中原誠先生は林葉直子先生に会うためにイギリスに1週間も滞在しています。

この時の中原先生の心境はまさに”戦々恐々”でしょう。
不倫がバレるのを恐れて林葉先生を説得しにイギリスまで行ったのですから。

林葉先生はイギリスから帰国してからは中原先生との不倫関係を解消しようと思っていましたが、解消できずにズルズルと関係は続いていってしまいました。

別れ話をすると、中原先生は嫌がらせの電話をするなど、ストーカー行為のようなものをくり返したと言います。

林葉先生の失踪事件から4年後の1998年、週間文春のいわゆる”文春砲”が中原先生に直撃します。以下が当時の見出しです。

「あの林葉直子は中原誠永世十段の愛人だった!衝撃のテープを公開する」

この文春砲によって中原先生と林葉先生の5年間に及ぶ不倫が発覚し、将棋界のみならず全国に激震が走りました。

一番の衝撃だったのは録音された留守番電話の内容でした。

以下は中原誠先生が林葉直子先生の電話に入れた留守番電話の内容です。

火曜日 午前0時32分
「バカやっろーお前みたいなのは早くしんじまえ! エイズにでも何でも早くかかっちゃえばいいんだよ!お前みたいなのは!このくそったれ!早くしんじまえ」

6分後
「直子のくそったれ!お前みたいなのは早くしんじまえ」

40分後
「もしもしこれから直子邸に突入します。事件になっても知りませんよ。これからいきますからね。突入します。それではよろしくー」

4分後
「もしもし、いますか?さあもうこれで全部公になりますからね?いいですか?その覚悟でいきますよ?はいー」

3分後
「もしもし、今から突撃します。いなかったら全部週刊誌に発表します。それではよろしくー」

3分後
「もしもし? もしもし? 私は林葉直子の愛人でしたっつうんで週刊誌に売ります。それではよろしくー。今から突撃!」

33分後
「もしもし…もしもし…いませんか?もしもし…もしもし…」

1分後
「もしもし…もしもし…あ、びっくりした。もしもし、いませんか・寝ちゃいました?はいー」

 

自宅で記者会見した中原誠

その後、自宅で記者会見を開いた中原誠先生は林葉直子先生との不倫関係をあっさりと認めました。

林葉先生の失踪中については「毎日ひやひやしてました。自分の名前が出たら自殺しようと思った」と。

他には「林葉には脅迫まがいのことをされ1000万円ほど渡した」とも話していましたが「(ずっと不倫関係が)続くのかと思ったら何の連絡もなくなった。(交際は)続けたいと思っていた」と林葉先生に未練があった趣旨を述べていました。

以上が将棋界のみならず世間を驚かせた不倫騒動ですが、自宅で記者会見を開くのはすごいですよね。当然のことながら家には奥さんが普通にいたそうです。

【林葉直子の波乱盤丈の人生】天才美人棋士から余命宣告までのまとめ
「私は、不倫で将棋界からいなくなっちゃった。バカなことをしました。中原先生との子どもを産んでいたら、名人ぐらいにはなっていたかな。もしかしたら、藤井聡太くんにも勝てたかも」と語った林葉直子。将棋の才能、執筆の才能、そして美貌も兼ね備えていた天才美人棋士は不倫、ヌード、借金、病気、余命宣告と激動の人生を送ることになってしまいました。女流棋士林葉直子の波乱万丈の人生をまとめた記事です。

 

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