元プロ棋士のハッシーこと橋本崇載氏の引退から逮捕までをまとめた記事です。
かつてはA級順位戦に在籍していた実力のある棋士だった橋本崇載氏。
妻による”子の連れ去り問題”から、裁判、そしてSNS騒動から名誉棄損での逮捕。
プロ棋士を引退しても、尚、型破りな人生を歩んでおられるようです。
目次
プロ棋士:橋本崇載とは
- 生年月日:1983年3月3日
- 出身地:石川県
- 師匠:剱持松二九段
橋本さんは11歳のとき棋士の養成機関である奨励会に入会。
16歳で三段リーグに初参加し、18歳で四段に昇段し、プロ棋士となりました。
順位戦ではA級に在籍していたこともある実力のある棋士でした。
将棋の普及面では、将棋BARを経営したり、NHK杯でのインタビューが話題になるなど"ハッシー"という愛称で人気もありました。
そんな橋本さんが結婚したのは2017年3月。
妻は専業主婦で、橋本さん達は滋賀県に居を構え、その2年後の2019年3月には第一子となる息子が誕生します。
2019年7月 子の連れ去り
「発端は2019年7月18日のことです。対局を終えて東京から妻と生まれたばかりの息子の滋賀県の自宅に帰ったところ、妻が息子を連れて姿を消していたんです。」
と橋本さんは語ります。
家に帰ると「一緒には暮らせない」との一枚の置手紙があったそうで、妻が生後4ヶ月の息子を連れて家を出ていったことがわかりました。
妻が出て行った理由としては、LINE上での些細な口論があったようです。
このとき、橋本さんの妻はマタニティーブルーいわゆる産後鬱の症状があったようで、もちろんこのことは橋本さん自身も理解していましたが、このLINE上での口論がきっかけとなって、取り返しのつかない事態になってしまいました。
こうして、橋本さんはこの妻の一連の行動を”子の連れ去り”だと主張します。
しかし、妻側としては「子供を連れて出ていけ」と言ったのは橋本さんであると陳述しています。
このあたりは、両者の主観的な見解ですので”子の連れ去り”についても真相は不明です。
2019年7月 慰謝料と養育費の通達
同年7月31日、妻の弁護士から慰謝料の請求書が送られてきます。
奥さん側の弁護士から一方的に離婚の旨と、慰謝料、養育費が届いたそうです。
その後、話し合う場を設け、橋本さんは妻と長男に会ったそうですが、妻が話し合いの途中で出て行き、話し合いは終了。
橋本さん側も弁護士を立て裁判になりますが、日本の法律上、勝ち目がない絶望的な状況に陥る橋本さんは、子供の連れ去りは連れ去った側の有利になる日本の法律に疑問を抱き始めます。
このことが、後の、子の連れ去り問題の街頭演説につながっていきます。
2019年12月には過程裁判所が長男の引き渡し調停を正式に却下します。
2020年10月 公式戦を休場
橋本さんはその後、弁護士を立てて妻側と争うことになったが、離婚調停は成立せず。
心身に不調をきたした橋本さんは対局ができない状態に。
2020年7月頃から鬱を発症していた橋本さんは同年10月からの公式戦を休場します。
その時の日本将棋連盟からの通達では2020年10月1日から2021年3月31日まで一身上の都合で休場というふうになっていました。
2021年1月には婚姻費を求める妻側からの債権差し押さえ請求が日本将棋連盟に届いたりもしていたようです。
以下、橋本崇載さんの言葉です。
「最終的に私が棋士引退を決意したのは今年の2月ごろだったと思います。将棋連盟理事の森下卓先生は、最後まで引退届を保留扱いとし、ぎりぎりまで説得してくださいましたが、もう将棋を指すことはできない、これ以上連盟に迷惑をかけられないという私の気持ちが変わることはありませんでした」
「それまでの結婚生活を振り返ってみて、毎日のようにいさかいが絶えなかったとか、他の夫婦と比較してとりわけ不仲であったということは決してありません。たとえけんかをしても、生まれたばかりの子どももいるわけですから、互いに歩み寄って問題を解決すべきだと思いますし、私も当初は離婚など考えたこともありませんでした」
「これは私と同じ経験をした人がみな言うことですけれども、夜はいいんですよ。朝になるとつらくなる。むなしさと孤独と倦怠感が襲ってくるんです。いまの私の実力は、奨励会初段もないでしょうね。もともと気持ちで指すタイプでしたから、いったん魂が抜けてしまうと厳しいんです。たまに解説に呼ばれ、藤井(聡太)君の指し手を絶賛しながら、自分はいま何をやっているんだろうかと自己嫌悪に襲われる。本当に辛かったです」
「いま、将棋界は研究にAIが導入されていることもあって、実力を維持するのに大変な労力がかかる時代になりました。このような家庭の問題を抱えながら将棋を指して、勝てるような時代ではないんです。休場する前の1年間は、ほとんどプロとしての将棋になっていませんでした。対局中にも心労が押し寄せ、注意力が極度に散漫になり、自分の手番であることすら気づかないこともありましたから」
「ルールを覚えてから30年、棋士になってから20年間続けてきた将棋ですが、1年間、苦しみ抜いたうえでの結論ですから、自分のなかで未練はありません。いま、将来のことは何も分かりませんが、もし私にできることがあって、少しでも喜んでいただける人がいるのであれば、今後、何らかの形で将棋とかかわっていくことがあるのかもしれません」
2021年4月 プロ棋士を引退
2021年4月1日に。
「僕は今日付け退会の届けを提出しているのですが 案の定相手にもされませんでした」
と明かしていた橋本さんでしたが、4月2日付けで日本将棋連盟は橋本さんの退会届が常務会で受理したことを報告しました。
その時、日本将棋連盟は引退理由に”一身上の都合により”と発表し、将棋界では極めて珍しい30代での引退となりました。
これを受け、橋本さんは4月2日にTwitterにて。
「イエエエエエエイ! やっと棋士の呪縛から逃れられた」
「皆様あざまーす!」
とツイート。
同日にYouTubeチャンネルである”TAKANORIチャンネル”とTwitterアカウントを開設します。
それらのコンテンツで以下のようなことを公表しました。
- 妻による子の連れ去りがあったこと。
- 鬱病になったこと。
- 担当医からドクターストップがかかり休職するよう提案されたこと。
- 今度は法改正のための活動をしていくことを明かした。
ちなみに2021年に入ってからは橋本さんは酒の席で暴力行為を行い、日本将棋連盟から厳重注意を受けていました。
以下、橋本さん宛に届いた陳述書のツイート画像です。
2022年11月 暴走
2021年10月20日
「今、海にいます。絶景」とツイートした橋本さんはその後、警察に保護されています。
以下、当時のツイートです。
2022年11月1日。
法律を変えるための活動も裁判所の取り決めによってできなくなったことを報告しています。
不貞行為はない、DVや暴力、モラハラもない、育児にも協力していた、妻には誠実に接してきたと主張。
「妻ではなく絶対に許せないものが何人かいる」と裏に何等かの人物がいることを示唆する発言もありました。
2022年11月には「ヨーロッパとの友人と連絡を取って コロンビアに行くことになりました」と報告していたが、その後「コロンビア案は流れてしまいました」とツイート。
「2週間分の安定剤と睡眠薬を飲むなどをしたが、嘔吐した挙句いつまでも気を失うことは有りませんでした」ともツイート
このへんはもう色々と迷走+自暴自棄になっていますね。
2022年11月27日 失恋
11月27日、橋本さんには意中の女性がいましたが、その方には彼氏がいたことが分かり、恋に破れたことを報告しています。
「呼吸が苦しいです」
「ずっと孤独だった もう限界」
「生きる喜びが消えた これから苦痛だけが待っている 独りじゃとても支えきれない」
「とりあえず 愚痴にお付き合い頂きありがとうございました もうそんなに伝えることはないです 出来るだけキレイな死に際を考えたいかなと思います 加害者の情報の為にアカウントは残します 消されたら何度でも再喝します ではさよなら 僕の代わりにいい人生を」
などと連続ツイートし、自暴自棄によるものか、翌日11月28日には、子の連れ去り事件の関係者の名前と居場所をTwitter上で公表してしまいした。
そして、以下のツイート。
「ガソリンまいて火つけたっていいんやぞ」
「今の俺に説教は暖簾に腕押しよ。逮捕も保護も上等上等」「どーせしぬんだから的な人に言う意味ある?無敵状態。教祖か仏かなんかになった気分よ。三年半のたうち回るとこうなんのよ?わかる?」
「頭おかしいやろ。穏やかに質素に家族に尽くして、こうなる人間がいるってことよ。次はアンタの番だよ」
慰謝料についてのリプライでは。
「払いたくても払いようがない。こんな理不尽にもずっと耐え続けて、変えの利かない仕事辞めるハメになって、これがわからない世の中なんて無差別殺人起こしてから自殺したるわ。どれだけの苦痛味わったかなんてわからんやろと思う」
2022年1月 逮捕
2023年1月17日に、昨年の11月28日の実名や居場所を公表したツイートの件で、橋本さんは名誉毀損容疑で逮捕されます。
これは2度目の逮捕で、1度目は2021年8月に元妻らの写真や中傷する記述を投稿するなどした名誉毀損容疑で逮捕されていますが、橋本さんは「投稿した記憶がない」と容疑を否認していました。
この度、滋賀県警大津署が橋本さんを名誉棄損の容疑で再度逮捕することにいたりました。
2023年3月17日に初公判があり、4月12日大津地裁で2度目の公判がありました。
その時、法廷で、発言の制止を求められているにも関わらず、橋本さんは抵抗します。
その後、裁判で退廷をめいじられた橋本さんは、キレて証言台を蹴り倒すなどして、話題になりました。
橋本さんとしては、逮捕されてからの4か月で4回保釈を請求したが通らず、携帯電話も没収されたままでした。
名誉毀損の裁判でこれだけ保釈が認められないのは珍しいと言えるのかもしれません。
今後の動向に注目です。