渡部愛女流についての記事です。
好きなものから好きなタイプ、そして将棋を始めたきっかけから現在に至るまでの将棋歴。
女流王位を取るに至った経緯を、野月浩貴先生のコーチング内容と共に解説しています。
渡部愛とは
- 名前:渡部愛(わたなべ まな)
- 生年月日:1993年6月26日
- プロ入り年月日:2013年10月24日(20歳)
- 身長:161cm
- 血液型:B型
- 出身地:北海道帯広市
- 師匠:なし(LPSA所属)
- LPSA番号:19
- 将棋:居飛車党
好きなもの:うなぎ・はちみつ・サッカー・チェス・名探偵コナン
Jリーグクラブ北海道コンサドーレ札幌のファンでもあり、高校時代には携帯電話の待受画面をフェルナンド・トーレスの写真にしていたほどのサッカー好きです。
好きなタイプは”私の毎日のようにやらかすのを怒らず、温かい目で見守って笑ってくれる人”
渡部愛女流のXアカウント:@nanu_ke
アカウントnanu_keなのは高校時、英語の授業でシロクマの”nanuk(ナヌーク)”を「ナヌーケ」と訳してしまい、そのままあだ名になったことから。
ちなみに他教科の先生からは「マヌーケ」と呼ばれていたようです(笑)
渡部愛と将棋
渡部愛女流が将棋を始めたきっかけは小学2年生の12月のこと。
休み時間に担任の先生と同級生が将棋を指しているのを見て興味を持ちます
そして、父にルールを教わり、毎日将棋盤に向かうようになり、1年ちょいで、父に将棋で勝つようになります。
同年9月に行われた第14回北海道女流アマ王位戦では一般戦の部で4戦全勝で初優勝は果たすなど、大会でも結果を残すようになっていく渡部女流ですが、転機が訪れたのは中学生2年生(14歳)の時でした。
地元の帯広に同じく北海道出身の女流棋士・中井広恵先生が指導対局に来ていたこがきっかけで、中井女流と月に一度、東京で将棋を教えてもらうようになります。
その頃は、寝食や生活スペースも確保してくださった中井女流は渡部女流にとってはかけがえのない存在なんだそうです。
高校も、東京に通いやすい北海高校という札幌にある高校に進学します。
その時は母親と2人で札幌に住むようになり、父だけが逆単身赴任状態になっていたそうです。
2008年には、女流アマ名人戦で準優勝。
2013年10月24日に2級に昇級したことで、晴れて女流棋士になりました。
渡部女流が女流棋士になったのは20歳の時で、意外と遅いんです。
その後、1年足らずで女流初段にまで昇段します。
2018年に里見香奈女流をタイトル戦で破り、初のタイトルを獲得(女流王位)
渡部女流は男性棋士キラーとしても有名で、2015年の新人王戦で三枚堂達也四段(当時)を倒した時は話題になりました。
さらに2018年には木下浩一先生、泉正樹先生、門倉啓太先生、川上猛先生と4人の男性棋士から白星を挙げました。
2019年に女流王位のタイトルを失冠してしまい、コロナ禍のオンライン対局による研究会等で成績が落ちてしまいます。
2021年にはタイトル戦(第1期白玲戦七番勝負出場)に挑戦するなど、復調気配にあります。
今後の渡部女流の活躍に注目です。
女流王位奪取までの裏話
2016年の2月
高校を卒業後に状況し、女流棋士として対局を行い、勝ったり負けたりでパッとしない成績が続いていた渡部愛女流(当時22歳)
「自分を変えないと、ここから先には進めないのではないだろうか」
という漠然とした不安に駆られます。
そして、渡部愛女流はある日、意を決してこんなメールを送ったそうです。
「野月先生 突然申し訳ありません。お願いがあって連絡させていただきました。自分はタイトル戦に出られるような女流棋士になりたいと思っていますが、今、悩んでいます。大変厚かましいお願いですが、もしよろしければ将棋を教えていただけないでしょうか」
それは以前、中井広恵女流との縁で、指導対局をしてもらった野月浩貴先生へのコーチングの依頼のメールでした。
渡部女流は野月先生について。
「中学3年生の時に帯広で将棋を教わったんです。あとは高校生になってから、中井先生の研究塾で教わった時に、誰よりも理論立てて指導してくれました。当時の私は感覚で指すことが多かったのですが、そこを見抜かれて、子供ながらにすごい先生だなと思ったんです。野月先生に教わったのはその2回だけなのですが、強烈でした」
と語っており、野月先生に対して強烈な印象を持っていた渡部女流。
その後。野月先生から返ってきたメールは「自分に協力できることがあれば」という好意的な返事で、それから野月先生コーチングの元”渡部愛強化計画”がスタートします。
【渡部愛強化計画の3本の矢】
- 走る
- 食べる
- 考える
将棋とは非常に体力を使います。
男性棋士の対局では、朝から夜までの一局で、2~3キロも体重が減っていたりします。
そのために体力強化をすることで集中力の維持や疲労の軽減につながり将棋の対局にプラスに働きます。
特に女流棋士の方はそういった体力面の弱さが対局に出ることも多く、対局時間が短いのも、そういったことを考慮しているのかもしれません。
なので体力強化を行えば、他の女流棋士よりも優位に立てます。
そこで、野月先生が取り入れたのは【走る】でした。
渡部女流曰く。
「えっ!?ってなりました(笑)本当に運動が将棋につながるのかなというのは疑問でしたが、走ったり、エアロバイクをこいだり、腹筋したりしています」
元々、運動音痴でただでさえドジっ子な渡部女流。
人よりも体力のなかった渡部女流にとっては、かなりのプラスになったようです。
そして【食べる】こと。
脳への栄養補給という点でとても重要です。
しかし、渡部女流は小食…。
ご飯を頼んでも、半分くらいしか食べないぐらい小食でした。
それでも、好きなものでいいので、なるべく多く食事をすることや、糖質などの栄養について考えることを意識するようになり”運動+食”により渡部女流の体力は上昇していきました。
対局でも変化があり、対局の後半になっても集中の持続ができるようになったことで白星が増えていったようです。
最後に【考える】ですが、
野月先生からは、一つしか手が思い浮かばないよううな局面からさらにたくさんの手を読むようにと言われ、初期のころの特訓は月に1、2回。
そこから時間が経つごとに増えていき、タイトル戦に出る直前など最大時は月に100時間弱に及びました。
「長い時には休憩を入れながらではありますが、9時から21時くらいまで将棋のトレーニングをやっていたこともありました。あとビックリしたのは〈体力をつけましょうね〉というアドバイスでしたね。私は子供の頃から運動が全く苦手で、腕立て伏せすら1回もできないんですよ(笑)。だから走るってこんなに大変なのか……と思いながらも、体力とともに“考える持久力”も身について、実際の対局にも生きていったんだろうなと感謝しているんです」
自分の指した将棋の検討を、かつては100手の将棋から分岐を考えて300、400手ほどに膨らませたが、野月先生からは「少なすぎる」と怒られ。
今では1000手、2000手というレベルまで広く深く考えるようになったそうです。
野月先生曰く。
「個人的見解ですが、一般的に当時の渡部さんのレベルだと、苦手なのは、遥か先の局面を頭の中で延々と考えることだと思ってます。変化が枝分かれしながら、30手先を考えていく。それをパソコン画面の前でやっているのですが、15手ぐらいでこんがらがって、持ち駒が足りなかったとかはよくありました。途中で分からなくなったら、『元の局面を見て、そこから一手ずつ進めていきなさい』と、とにかく頭の中で考えさせましたね。(渡部に対して)考えるクセをつけさせました」
2016年から始まった野月コーチングを、渡部は必死にやり続けました。
自分でやると言ったからには、決して投げ出さず、長い日は1日15時間にも渡って盤面に向き合い、考え続けたそうです。
そして2018年、渡部女流は初タイトルを里見香奈女流から奪取し、渡部女流王位となりました。
当時、女流最強だった里見香奈女流にタイトル戦で勝った衝撃は将棋界を駆け巡りました。
野月浩貴
「女流棋士のコーチングは初めての例なので、これがスタンダードになるかはわかりません。もしかしたら何人かは出てくるかもしれませんが、コーチの負担も大きいですから。最新の技術や勉強方法の移り変わりも把握しないといけないので、現役棋士じゃないとできないですし、やりたいという棋士は少ないと思います。ただ、今後は若くして引退される棋士も出てくるかもしれないので、そういう人たちが出てくるかもしれません。そうなると、どこがお金を出すのかという問題もありますが……」
ちなみに野月先生は謝礼を受け取っておらず指導は全てノーギャラだったとのことです。