A級順位戦の大野源一八段vs塚田正夫九段の一戦にて。
終盤で圧倒的に有利となった大野八段でしたが、塚田九段が形作りで王手をかけたところ、大野八段が王手放置をし、逆に王手をかけかえしてしまいました。
これにより塚田九段は大野玉を取り駒台に乗せてしまうという珍事がありました。
王手放置で王将を取られる
1963年のA級順位戦でのこと。
- 先手:大野源一 八段(当時)
- 後手:塚田正夫 九段(当時)
塚田九段は順位戦の成績が悪く降級の可能性があり、大野八段は名人挑戦が残る重要な対局でした。
局面は最終盤。
A級順位戦ということもあって、時刻はすでに日付が変わり、深夜になっていました。
塚田九段が劣勢の中、思い出王手のような形で指したのが下図の”2八飛車”です
そして、大野八段がぼやきます。
「なんだい、この王手は…。」
その時、記録係から「大野先生、ここから1分将棋です」と声がかかります。
時間がないことに焦ったのか大野八段は”3一角”と指してしまいました。
この手はもちろん”王手放置”という”反則”です。
通常であれば、ここで記録係が「その手は王手放置による反則です」と対局を止めるのでしょうが…。
「大野君、悪いけどこれもらっとくよ」
と塚田九段は先ほど打った2八の飛車で大野八段の玉将を取り駒台に乗せます。
「あ!こら!なにするんや!」
と大野八段。
「ぼく、今苦しいんだ」
と塚田九段。
対局はもちろん、大野八段の反則負けとなり、塚田九段の勝ち。
気になるその当時の順位戦の成績はというと、塚田九段が5勝5負でA級残留。
そして、名人挑戦の可能性があった大野八段は7勝3負で、名人挑戦にはいたりませんでした。
ちなみ当時は升田幸三先生がA級順位戦を8勝2負で名人への挑戦を決めているので、この王手放置の一局に勝っていれば、プレーオフになり名人戦の挑戦者になれたかもしれません。
非常にもったいない一局でした。
おそらくプロの公式戦で駒台に玉将が乗ったのはこれが最初で最後ではないでしょうか?
この対局以降、大野九段には”日本一のあわて者”のあだ名がついてしまったそうです。
https://shogi-oute.com/outehouchi/