糸谷哲郎先生といえば早指しでも有名なプロ棋士ですが、奨励会時代に、変わった反則負けをしたことのあるプロ棋士でもあるんです。
その珍しい反則とは、取った駒を自分の駒台ではなく、相手の駒台に置いたという前代未聞の反則です。
当時の幹事・井上慶太八段(当時)は「いやぁ、こんな手は初めてやで。君は大物かもしれんなぁ」と驚いたものの、糸谷哲郎3級(当時)の反則負けと裁定しました。
以下、当時の状況について詳しく解説している記事です。
奨励会時代の糸谷哲郎
奨励会時代の糸谷哲郎先生は少し変わった子だったようで、1日に3局対局する奨励会の例会で千日手を合計5回もしたり…。
香落ちの下手で初手に7六歩と指してしまい、反則負けになったりしています。
駒落ち将棋は上手が先手と決まっているため、下手が先に指したら反則なんです。
プロの将棋でも千田先生が先手と後手を勘違いして、後手番なのに、初手を指し反則負けとなったことがありました。
ちなみに小学生時代の糸谷哲郎先生はよく泣くことでも有名だったとか…。
そして、その糸谷先生が号泣した対局が以下の佐藤天彦1級(当時)との対局です。
糸谷哲郎3級の前代未聞の反則
奨励会の例会対局で、信じられない反則が発生しました。
それは糸谷哲郎3級vs佐藤天彦1級の対局でした。
形勢は糸谷哲郎3級(当時)の勝勢。
糸谷3級が、次に指した手は”銀”取りの手でした。
そこまでは普通なのですが、その取った”銀”を自分の駒台ではなく、相手の佐藤天彦1級(当時)の駒台に置いてしまったんです。
当時の佐藤天彦先生曰く。
「こっちは敵陣に潜った玉を金気3枚で囲んで守っているような状態。盤面に夢中で、何が起きたのかわかりませんでした」。
なぜか”銀”をプレゼントされた佐藤天彦1級は困惑。
一方の糸谷哲郎3級は「すみません」と手を挙げ、幹事の先生に相談。
以下、糸谷哲郎3級、佐藤天彦1級と当時の幹事だった井上慶太八段(当時)の会話。
井上慶太「どないしたんや?」
糸谷哲郎「置いちゃったんですけど…」
佐藤天彦「銀をいただいたのですが、どうすれば…」
井上慶太「そんな反則あったかいなぁ?」
井上慶太「考えられない行為やし、負けかなあ」
糸谷哲郎「…はい…。」
このような感じで、悩んだ末に井上先生は糸谷3級の”反則負け”の裁定を下されました。
このあと、糸谷哲郎3級は号泣。
「いやぁ、こんな手は初めてやで。君は大物かもしれんなぁ」
と優しい井上慶太先生は糸谷3級を慰めます。
そして…。
「そうなんですか!こんな手、誰もやったことないんですか!よし!」
と泣いた顔で喜ぶ糸谷3級。
「プロになったら、これも伝説になるから最高やないか」
と井上先生。
なぜ相手の駒台に取った駒を置いたのか?
取った駒を相手の駒台に置く。という反則は前代未聞です。
後にも先にもこのような反則はありません。
では、なぜそのような反則が起こってしまったのかと言うと…。
『棋譜並べ』が影響していると思われます。
”棋譜並べ”とは棋譜を将棋盤に並べる将棋の勉強の一種で、自分一人で棋譜並べをする場合は、先手の手と後手の手両方を自分で駒を動かして将棋を再現します。
そうすると『相手の駒で自分の駒を取って、相手の駒台に置く』というようなこともしなければいけません。
なので『相手の駒台に取った駒を置く』というのは”棋譜並べ”では普通にあることなんです。
その癖がついていたと考えるのが、一番しっくりくる原因ではないでしょうか?
実際には『相手の駒で自分の駒を取って、相手の駒台に置く』ではなく『自分の駒で相手の駒を取って、相手の駒台に置く』だったんですが…。
正直なところ、なぜそのようなことをしたかは糸谷先生本人もわかっていないのではないでしょうか?