個性的な人が多い将棋界で”砂糖のように甘い言葉で深夜に君を寝かさない”の決め台詞でお馴染みの佐藤紳哉先生を紹介している記事です。
佐藤紳哉先生と同じくエンターテイナー棋士である橋本崇載先生との絡みは漫才並みにおもしろいですよね。
佐藤先生がカツラを被るようになった経緯、カツラ芸、そしてNGになったNHK杯秘話まで解説しています。
佐藤紳哉とは
- 1977年8月29日 生まれ
- 神奈川県 出身
- 安恵照剛 門下
- 居飛車党
”サトシン”の愛称で親しまれている佐藤紳哉先生ですが、20代前半の頃から徐々に髪が薄くなっていったそうです。
朝起きると、枕にたくさんの抜け毛が散乱している日々。
これはマズイと当初はパーマをかけて誤魔化していたそうですが、パーマをかけると髪が痛む、そして抜ける、だからまたパーマをかけてさらに誤魔化すという悪手を指し続けていたようです。
頭の守りを薄くする悪手を指し続けたせいか、前髪は完全に後退し切ってしまい25歳の時にはスカスカに…。
それからしばらく経った29歳の時からカツラを被るようになったのだそうです。
その時から”カツラは脱ぐもの”として考えていたようで、イベントなどでもカツラを被って登場し、途中でカツラを脱ぐというパフォーマンスをするようになりました。
NHK杯での初カツラ対局
佐藤紳哉先生はありのままの姿で対局するのですが、NHK杯トーナメント本戦に登場した時に始めてカツラを被ったまま対局しました。
相手は豊島六段(当時)
対局前のインタビューでも「豊島?強いよね?序盤、中盤、終盤スキがないと思うよ。」と棋士らしからぬ発言。
もちろんウケ狙いなんですが、当時はかなり話題になりました。
かなり話題になった「序盤中盤終盤隙がない~」のまとめ記事はこちらです↓
そして、そのままカツラを被ったまま対局し、敗北。
投了の際、カツラを取って「負けました。」と言ったそうなんですが、残念ながら撮り直しをさせられてしまい、カツラを取らないバージョンの投了シーンが放送されました。
投了撮り直しはなかなかないですよ。
その時の豊島先生も「いつカツラを取るのか気になっていた。」と後日、話しています。
サトシンとハッシーの漫才解説
このNHK杯を機に佐藤紳哉人気は急上昇。
解説会でもカツラを取るパフォーマンスをしてファンを喜ばせ、藤井聡太先生の29連勝の時はフジテレビのバイキングに出演し、カツラを取るパフォーマンスで会場を驚かせました。
でも、そんな佐藤紳哉先生でも脱帽をためらった時があります。
それが名人戦七番勝負の解説でのこと。
その日は佐藤紳哉先生と橋本崇載先生が大盤解説をしていました。
カツラを被ったままこの生放送解説に出演していた佐藤紳哉先生と橋本崇載先生の漫才のようなやり取りがこちら。
橋本「2五銀と出て、このね、”カツラ”を取ります」
佐藤「え?これ”ケイ”って読みます」
橋本「あぁそうでしたか。でもねこのカツラを取りたかったんですよね。」
佐藤「いや”ケイ”と読みます」
橋本「あぁ、ごめんなさい。間違えちゃった。」
佐藤「そのフリには負けません。名人戦ですから!」
と伝統ある名人戦ではカツラを取ることはなかった佐藤紳哉先生。
しかし二日目の解説の時にはカツラを外した状態で出演。
司会の方も「昨日とは雰囲気を変えてご登場ですが…」と苦笑していました。
イケメン棋士からカツラ棋士へ
”最強のエンターテイナー棋士”とも紹介される佐藤紳哉先生。
髪が薄くなってきた20代前半の頃は真剣に悩んでいたそうなんです。
それがいつしか”個性”だと考えるようになって、カツラ芸が誕生したとのこと。
当初は髪がフサフサのイケメン棋士だった佐藤紳哉先生。
とある女性向けの将棋イベントで、カツラを取るパフォーマンスをしたところ女性ファンから悲鳴があがったそうです。
その悲鳴を聞いて佐藤紳哉先生は「悪くないな」と…。
それからカツラを外し続けて10年以上になる佐藤紳哉先生ですが、カツラ外しは将棋のように奥が深いそうで、取るタイミング、取り方、シチュエーション…様々な要素があり、今回上手くいったからと言って、次も上手くいくとは限らない、そういう世界なんだそうです。
色々な形で将棋界を盛り上げ普及活動をしているプロ棋士の方々ですが、その中でも”笑い”で将棋界を盛り上げる佐藤紳哉先生。
それにしても”ハゲ”というコンプレックスを”個性”として考えるようになったプラス思考は見習いたいものですね。
ちなみに目標は藤井聡太先生に勝ってカツラを取ることだそうです。